いものやま。

雑多な知識の寄せ集め

『数学文章作法』を読んでみた。

数学ガール』などの著作で有名な結城先生の『数学文章作法』を読んでみたので、その感想など。

概要と感想

数学ガール』がまさにそうであるように、正確で読みやすい文章に定評のある結城先生。
その結城先生が、自身が文章を書くときに実践している内容を、文章としてまとめた本。

実際、この本はすごく読みやすい。
何をもって「読みやすい」とするのかは難しいところがあるけれど、この本ではその目安の一つとして「読むときに『引っかかり』が存在しないこと」を挙げていて、実際、スラスラと気持ちよく読めて、引っかかりが存在しない。

 推敲では、文章を繰り返し読みます。推敲が十分にできていないと、読んでいる途中であちこちに「引っかかり」ます。「引っかかる」というのは、使っている語句、書かれている事実や論理の進め方などが気になって、内容に集中しにくいという意味です。
 しかし、推敲を終えるタイミングが近づくと、そのような「引っかかり」がなくなってスムーズに読め、内容に集中できるようになります。読むときの「引っかかり」がなくなってきたことは、推敲を終えるタイミングの目安となります。読者が読むときも、同様に引っかかることなく読める可能性が高いからです。
(『数学文章作法 推敲編』8章より引用)

引用した文章だけ見ても、その読みやすさは伝わると思う。
読みやすい文章を書くにはどうすればいいのかが「具体的に」述べられていて、そして、そのことが実際に「この本自身で」実践されているというのが、非常にいい。

自分の作った同人誌『哲学散歩道I』では、「正しい」とはどういうことかの問題提起を行うために、以下のような文章を書いた:

 例えば、本屋に行くと、「分かりやすい話し方入門」とか、「人の心をつかむ文章の書き方」なんていう本が売っています。読んでみると、確かにそこに書かれている内容は正しそうですが、その本自体は分かりにくいなんてことがよくあります。その本に書かれている内容をその本を書いた張本人が実践できていないとか、あるいは実践しているのだけれど実は分かりにくいとか。そうすると、この本に書かれている内容がどれだけ正しいのかということが気になってきます。
(『哲学散歩道I 「正しさ」を求めて』より引用)

けど、この本は、上で問題提起に使ったような本とは違って、書かれている内容がそのまま実践されていて、そして実際に読みやすいので、非常に説得力を持つようになっている。

ちなみに、自分が気に入った文章は、以下のもの。

ちなみに、「ちなみに」は注意して使いましょう。「ちなみに」は、話の流れとは少し外れた内容を持ち出すときに使うものです。少し外れていても、読者の理解を助けたり、読む意欲を増したりするならかまいません。しかし、文章から読者の意識をそらせたり、文章を長くするだけの「ちなみに」なら不要です。
(『数学文章作法 基礎編』2章より引用)

こういうの、大好きw

読んでいて気になったこと

一方、読んでいて気になったこともいくつか。
といっても、それは「読みにくい」と感じたという意味ではなく、「こういうことも知りたかった」という意味でだけど。

文章をゼロから組立てる方法

これはTwitterでも呟いたんだけど、文章をゼロから組立てる方法も知りたいな、と思った。

本では、文章の順序や階層、そして文章全体のバランスについて説明がされている。
それに、例を入れたり、問いを入れたりするといいよということも書かれている。

けど、実際にある程度大きな文章を書こうとなると、何も考えずにまず書き始めて、書いたあとで推敲をするという方法だと、大変。
というのは、こういった文章全体に関する構成は、ある部分の記述が他の部分の記述に依存したりするので、文章を書き終えてから修正するのは非常に難しいから。
それに、漏れ・抜けが出てしまう可能性も高い。

なので、実際には、文章全体の構成を考える作業をやってから文章を書き始めているはずで、具体的にどのような作業をやっているのかが気になった。

そしたら、結城先生から次のようなリプが。

これは期待!

文章にメリハリを与える方法

「読みやすい」文章というのは、ときに「読みやすすぎる」ことがあって、読んでいるときは気持ちよく読めるんだけど、逆に引っかかって頭を悩ますことが少ないので、下手をすると印象が薄くなってしまったり、単調になってしまうことがある。
これを防ぐ方法をもっと知りたかった。

ちょっと自分の話をすると、塾講師をやっていたときに、模擬授業で講師陣からは評判がよかった授業も、実際に生徒に教えてみるとテストで点数が取れなかったりということがあった。
分かりやすい授業というのは、生徒を「分かった気」にはさせるんだけど、「分かった気」にさせるんじゃ実際にはダメで、「分かったうえでテストで点数が取れる」状態にしないとダメ。
これには「分からない→分かった!」という強烈な体験が必須で、それには内容の分かりやすさだけじゃなくて、どう伝えるのか、体験させるのかという技術が必要になってくる。
それと、授業はそれなりの長さがあるので、たとえ分かりやすかったとしても、単調だと生徒はすぐに飽きてしまう。
なので、単調にならないように、あの手この手を使わないといけない。

文章についても同様のことが言えて、メリハリがないと、たとえ分かりやすかったとしても印象に残らなかったり、単調になって読んでもらえなくなってしまう。

ところで、「いい本」として、「読みやすい」とは真逆の、「難しい」「読むのが困難な」本が挙げられることがある。(とくに古典に多い)
こういった本は、読者を突き飛ばすことを平然とやってのけるのだけど、そのかわり、読み終わったときには強い印象と強烈な達成感、そして豊かな知識を与えてくれる。
そこまでやるのが常にいいとは限らないけど(それこそ、本でスローガンとされていた「読者のことを考える」の一言に尽きるのだけど)、「あえて読みやすくしない」というのも、場合によっては有益なのかもしれない。

『数学文章作法』に話を戻すと、「例を出す」「問いを行う」といったことが、文章にメリハリを与える具体的な方法になっていると思う。
ただ、このことについてまとまった章が用意されているわけではなく、明示的に書かれているというわけでもないので、このことについてまとめられた文章も読んでみたかった。

「逆説の連続」の扱い方

これは自分に固有の問題かも。

哲学の文章を書いていると、主張→考えらえる反論→それに対する再反論→考えられる再々反論や別の反論→・・・という文章構成になることがけっこうある。
このとき困るのが、逆説の連続。
うっかりすると同じ接続詞を連続で使ってしまうことがある。
そうでなかったとしても、逆説がずっと続くというのは、あまりいいものではない。

文章のメリハリにも関係するんだけど、こういった逆説が続く文章をどう書けばいいのかというのがいまだに分かってない。
いうなれば、「著書の自分」と「読者の自分」に交互に立場を変えて、意見を戦わせる様子をそのまま書き出しているんだけど、これを別のよりいい表現で書くことが出来るのかどうか・・・


何はともあれ、非常に読みやすく、本当に勉強になる。
オススメ。

今日はここまで!