いものやま。

雑多な知識の寄せ集め

同人誌の執筆(文章作成・推敲)で気づいたこと。

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昨日に引き続き、技術書典7で頒布する『Math Poker Girl』の作成に関する振り返り。

今日は執筆する中で気づいたことについて。

  • 読点の打ち方
  • 段落の分け方
  • 不要な語句の削除
  • 索引の入れ方

うわっ・・・私の読点、多すぎ・・・?

自覚なかったんだけど、自分、めちゃくちゃ読点を打つ癖があった。

意味をおかしくしないという意味では読点は打った方がいいし、実際に声に出して読むと読点がそれなりに入ってた方が息苦しくならなくていいんだけど、ちょっと入れすぎかなということに気づいた。

読点って思った以上に入れなくても読むときは不自然に感じない。

むしろ入れすぎると文が区切れすぎて読むのがつっかえつっかえな感じになる。
読点をなくすと文章が流れるようになって、読者はその方が気持ちよく読めると思う。
(もちろん、つっかえさせるためにあえて読点を入れるテクニックはある)

例えば、推敲前の文章がこれ:

「確か、お互いに手札が何枚か配られて、お金を賭け合うんだっけ。 手札が弱くても、相手を降ろせば勝ちなんでしょ?  あとは、手札を交換していたかも。 そして、お互いに降りなければ手札を公開して、強い方の勝ち」

問題はないし、切れるべきところで切れているようにも見える。
けど、ここから読点を大量虐殺した結果がこれ:

「確かお互いに手札が何枚か配られてお金を賭け合うんだっけ。 手札が弱くても相手を降ろせば勝ちなんでしょ?  あとは手札を交換していたかも。 そして、お互いに降りなければ手札を公開して強い方の勝ち」

すっごく滑らかに読める!
そして、別に意味がおかしくなってたりはしない。
むしろ、後者を読んでから前者を読むと、すごくつっかえつっかえに感じる・・・

ちょっと悩ましいのは、接続詞の後の読点を入れるかどうか。
書くときってどうしても接続詞を書いたあとに一呼吸入れるので、そこで読点を打ってしまうんだけど(「そして、」とか「むしろ、」とか)、実際には入れなくても読める場合が多い。

例えば、(←とこの読点もそうなんだけど)推敲前だと

「もちろん、J、Q、K、Aも使える。 例えば、以下のようなのもストレートだ」

だったけど、読点を削った結果は

「もちろんJ、Q、K、Aも使える。 例えばこんなのもストレートだ」

と読点がなくても全然問題ないし、むしろスッキリして読んでて気持ちいい。

もう癖になってて直すのがかなり難しくも感じてるんだけど、基本的には読点は打たず、読んでみて意味がおかしくなるところにだけ打つようにした方がよさそう。

あと、区切りの助詞の代わりに読点を入れているケースがけっこうあったので、そういう場合は助詞を使うことで読点を削除できる。
これは好みの問題もあるので難しいところだけど。

(before)

「その場合、その全員が勝者だ。ポットは山分けすることになる」

(after)

「その場合はその全員が勝者だ。ポットは山分けすることになる」

他、文が長くなりすぎている場合があるので、そういうときは読点を削除して文を分けた方がいいし、なんなら語順を入れ替えるというのも有効と言える。

↑ この文自体「他にも文が長くなりすぎている場合がある。そういうときは読点を削除して文を分けた方がいい。語順を入れ替えるのも有効と言える」と3つに区切った方がいいとかね。

段落の分け方

段落の分け方なんて普段あまり悩まないんだけど、今回は小説だったのでかなり悩んだ。
というのも、小説って思った以上に段落が分かれてる

もちろん、長い地の文ならあまり困らない。
それは普通の文章とあまり変わらないから、普段と同じように分ければいい。

困るのは、会話文が続く間に挟まる短い地の文の集まり。
文としては2つか3つなんだけど、これを段落に分けるべきか否か。
数が少ないので段落を分ける意味があまりないといえばその通りなんだけど、段落を分けた方が自然だと感じることも少なくなかった。

その中で気づいたのが、地の文も種類がいくつかに分けられるということ。
具体的には、以下の3種類:

  1. 三人称視点での場面の描画。(そこに何があるのかとか、誰が何をやったとか)
  2. 一人称視点での場面の描画。(その場面での一人称の人物から何が見えたのかや、その人が何をやったのか)
  3. 一人称視点での心情の描画。(その場面での一人称の人物が何を思ったのか)

そして、地の文の種類が変わったら段落を変えるというのを目安にするとよさそうだと思った。
あと、種類が同じでも主語が変わったときはときは段落を変える方がよさそう。
完全にそうとは言いきれないんだけど・・・

例えば、推敲前だと

 次の休日、ボクが駅前でフィネスを待っていると、彼女はほどなくやってきた。
 今日は彼女にポーカーのルールを教えてもらうことになっていたのだ。
「やぁ、おはよう、ヒロアキ
「おはよう、師匠」
 ボクは言われた通り、彼女のことを師匠と呼んだ。途端に上機嫌になるフィネス。
「うんうん、いいねぇ、我が弟子!」

推敲後は

 次の休日、ボクが駅前でフィネスを待っていると彼女はほどなくやってきた。 今日は彼女にポーカーのルールを教えてもらうことになっているのだ。
「やぁ、おはよう、ヒロアキ
「おはよう、師匠」
 ボクは言われた通り彼女のことを師匠と呼んだ。
 途端に上機嫌になるフィネス。
「うんうん、いいねぇ、我が弟子!」

で、推敲後の方がよくなってるはず。
はず・・・(感覚的なので難しい)

コメントを追加すると以下のような感じ:

 次の休日、ボクが駅前でフィネスを待っていると彼女はほどなくやってきた。 今日は彼女にポーカーのルールを教えてもらうことになっているのだ。三人称での場面・事実の記述
「やぁ、おはよう、ヒロアキ
「おはよう、師匠」
 ボクは言われた通り彼女のことを師匠と呼んだ。一人称での行動の記述;動作の主語はボク
 途端に上機嫌になるフィネス。一人称からみた場面の記述;動作の主語はフィネス
「うんうん、いいねぇ、我が弟子!」

いや、微妙で難しいんだけどね。

不要な語句を使ってしまうということが多いということ

・・・というふうに(これは極端だけど)「という」とか「こと」をついつい入れてしまうことが多かった。
読んでみてもあまり違和感は感じないんだけど、こういうのはバッサリと切ってしまった方がいい。

(Bad) 不要な語句を使ってしまうということが多いということ
 ↓
(Good) 不要な語句を使ってしまうことが多い

上記の「読んでみても・・・」の文も、読み返すと「〜してみる」とか「〜なんだ」はなくていい。

(Bad) 読んでみてもあまり違和感は感じないんだけど、こういうのはバッサリと切ってしまった方がいい。
 ↓
(Good) 読んでもあまり違和感は感じないけど、こういうのはバッサリ切った方がいい。

なお、書いてるときはどうしてもこういうクッションを入れてしまうので、入れないように注意しながら書いていくのはなかなか大変・・・
それで書くペースが落ちてもよくないし。

なので、書くときに意識するというよりかは、推敲時のレビュー観点の一つとして不要語句の削除を意識する方が効率的だと思う。

この単語、索引に追加すべきかどうか・・・

索引が必要な文章を初めて作ったので、どの単語を索引から辿れるようにすべきかでかなり悩んだ。

ちょっとややこしいんだけど、ここで悩んだというのは「索引に載せる単語」をどれにすべきかではなく(それは簡単に分かる)、「索引に載せるべき単語」から参照される単語をどれにすべきかということ。

例えば、「スモールブラインド」という単語(専門用語)を索引に載せるべきというのはすぐに分かるんだけど、じゃあスモールブラインドという単語が出てくるページをすべて索引から辿れるようにすべきかというとそうではなくて、辿れるようにすべきものとそうでないものがある。

「そして最初にアクションするプレイヤーをスモールブラインド(Small blind)と呼び、次にアクションするプレイヤーをビッグブラインド(Big blind)と呼ぶ」

は索引から辿れた方がいいけど、

「スモールブラインドから順に残っている誰もがベットしないでチェックし続け、ボタンまで周ればそのフェーズは終了だ」

は索引から辿れた方がいいかというとちょっと違う。

これに関しては、単語が「説明される対象」なのか「説明に使われているだけ」なのかを考えるといいと思った。
そして前者の場合だけ索引に追加する。

なぜかというと、読者が索引を見るのは「あれ? この単語の意味、なんだっけ?」というときだから。
そのときに見たいのは単語の説明が書かれている前者であって、その単語がどう使われているのかという後者ではない。

プログラムでの関数定義と呼び出しをイメージすると分かりやすいかも。
ユーザが索引を見るのは、関数呼び出しを見て「この関数の定義ってどんなだっけ?」というとき。
なので、索引から辿れるべきは関数呼び出しをしている箇所ではなく、関数定義をしている箇所。

さっきのスモールブラインドの例だとまさにそうなっていて、前者はスモールブラインドという単語の説明をしているので索引から辿れるべきだけど、後者はフェーズの終了条件の説明で、スモールブラインドという単語はそのために使われているだけだから索引から辿れるべきではない。

ただし、ちょっと例外があって、普通の用語を専門用語ではこう言うと説明している場合、その普通の用語も索引から辿れるようにした方がいいと思った。

例えば、

「そこでブラインド(Blind)という強制ベットがあるんだよ」

という文の場合、説明対象は「ブラインド」で「強制ベット」は説明に使われている言葉なんだけど、強制ベットも索引から辿れた方がいい。
なぜなら「あれ? あの言葉って専門用語だと何て言うんだっけ?」というケースがあるから。
なのでそう言う場合だけ例外的に索引に追加する。


あと、結城浩先生の『数学文章作法』はやはりおさえておいた方がいいと思った。

読み返してみたけど、不要な語句を削るべきという話や索引についても書かれていて、改めて勉強になった。
オススメ。


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今日はここまで!