いものやま。

雑多な知識の寄せ集め

『現れる存在』を読んでみた。

『現れる存在』を読んで、これが非常に面白い本だったので、紹介したい。

現れる存在―脳と身体と世界の再統合

現れる存在―脳と身体と世界の再統合

ちなみに、どんな本なのかをすごく簡単に言うと、知能とは脳の中に閉じているものではなくて、身体、さらには環境にもにじみ出て、それらの相互作用による創発によって生み出されているのではないか、ということを、様々な事例に基づいて主張している本。
哲学的であるのだけど、それ以上に非常に科学的。
そして、取り上げている事例を読むだけでもすごく面白い。

きっかけ

そもそも、なんでこの本を読もうと思ったのかというと、『人工知能のための哲学塾』の参加者で読書会を企画した方がいて、その準備会みたいな集まりにこそっと参加させてもらったのだけど(ちなみに、読書会自体には自分は参加できなかった・・・)、その場で『人工知能のための哲学塾』のアドバイザー的な立場だった大山さんがこの本を薦めていたから。

そのときはとりあえずメモっておいて、hontoでクーポンが出たら買おうと思っていたのだけど、いつまで経っても紙の本のクーポンが出ず、同じように待っていた飲茶さんの『飲茶の「最強!」のニーチェ』を買うときに、一緒に購入した。

届いてまず、その分厚さにびっくり。
こんなにしっかりした本だったのか・・・
(※脚注や参考文献、付録諸々を入れて400ページ強)
が、開いてパラパラとめくってみれば、これが読んでて非常に気持ちのいい文体。
翻訳がいいからなのか、分厚さのわりにだいぶスラスラと読めた。
(ただし、6章〜8章を除く。特に8章は読むに耐えない・・・)

どうして人工知能は「アホ」なのか

イントロダクションでまず語られるのがこれで、痛快すぎるw

われわれが作り出した最高の『知的』人工物は、なぜいまだに、言いようもなく手の施しようもないアホなのか。
一つの可能性は、われわれが知能そのものの本質をまったく誤解しているということだ。
われわれは心というものを、ある種の論理的推論装置が、明示的に蓄えられたデータと結びついたものも考えていた(略)。
(省略)
われわれが無視している事実とは、生物の心が何よりもまず、生物の身体をコントロールするための組織だということだ。
(省略)
心は決して身体を伴わない論理的推論装置ではないのだ。
(『現れる存在』より引用)

つまり、知能というとどうしてもパソコン的なものを思い浮かべてしまって、膨大なデータと、そのデータを処理する仕組みこそ知能なのだと思い込んでしまうけど、そんなんだから人工知能はどうしようもなくアホなんだよ、と。

確かに、知能のあり方をパソコン的なものとして捉えていれば、どうしたって出来上がるものはパソコン程度のものにしかならない。
そうじゃなくて、心が身体をコントロールするための組織として発達してきたという事実に目を向けなければ、生物の賢さというものは見えてこない、と。

そのあとは、CYCというとんでもないプロジェクト(二人世紀かけて知識データをコンピュータに入力する)を紹介し、それがゴキブリのもつある種の賢さにも劣ることを示している。
ゴキブリさん、ぱねぇ・・・

包摂アーキテクチャ、モデルをもたない心、環世界・・・

そこから本では、このブログでも何度か名前が出てきたブルックスと包摂アーキテクチャ(サブサンプション・アーキテクチャ)を紹介し、そのアーキテクチャを用いた様々なロボット、それに、モデルをもたない心(表象なき知性)、さらにはユクスキュルの環世界の紹介を行なっている。
このあたりは、『人工知能のための哲学塾』を読んでいれば、馴染み深いと思う。
そして、具体的なロボットの紹介もされているので、そこだけでも十分面白いと思う。

青写真なき発達

そのあと紹介されていて面白かったのが、乳幼児の歩行に関する話。

まず、新生児を持ち上げて床から離すと、よく調和のとれた足踏み運動が見られるらしい。
しかし、2ヶ月ほどすると、この足踏み運動は行われなくなる。
このあと、8ヶ月から10ヶ月になると再び足踏み運動が見られるようになり、およそ12ヶ月で自律的な歩行が見られるようになるらしい。

この2ヶ月から8ヶ月にかけて、足踏み運動が行われなくなる理由、普通だとちょっと分からない。
素直に考えると、2ヶ月頃には、なにか無意味な足踏みを抑止するような脳の成長があったりするのかな、と思ってしまう。

が、この理由は、もっと別のところにあったとのこと。
その答えは、「脚の重さ」w

どうやら、脚が成長していくことで、2ヶ月経った頃に、直立姿勢のときの脚の重さが、脚の筋肉が持ち上げられる重さを超えてしまうらしいw
なので、足踏み運動が行われなくなる。
そして、8ヶ月経った頃、今度は脚の筋肉が十分に発達してきて、結果、再び足踏み運動が見られるようになる、と。
実際、3ヶ月経って足踏み運動をしなくなった乳幼児を、実質的に脚が軽くなる水中に直立させると、再び足踏み運動を始めるらしいw

この事実の意味するところは、幼児の発達を理解するときに、複数の要因の相互作用を考えなければならない、ということ。
この例の場合、脳や遺伝子といった、中央集権的なものが原因だったのではなく、「脚の筋力」と「脚の重さ」という2つのパラメータの関係が、足踏み運動の振る舞いの原因になっていた。
つまり、脳や遺伝子になにか壮大な青写真があって、それにしたがって発達していたわけではないんだ、ということが分かる。


で、そのあともいろいろ面白い話が続くんだけど、まとめるの、諦めた(^^;
どれもこれもが興味深い話で、書き始めるとキリがない・・・
ということで、自分のTwitterでの呟きをピックアップ。
あとで余力があればまとめ直すかも。

007原理

「007原理」というのは、次のようなもの:

一般に、進化した生物は、環境の構造や環境に対する操作を、関連する情報処理操作の代用物としてうまく利用できる場合、あえて損失の大きなやりかたで情報を蓄積したり処理したりはしない。
すなわち、仕事を済ますのに必要なことだけを知るべきなのである。
(『現れる存在』より引用)

オッカムの剃刀」の生物版というか、何かすでに使えるものがあるのなら、それを使うことでコストを下げるようにする、という原理。

外的な足場作り

環境との相互作用による創発を考えていくと、人間が賢くなってきたというよりかは、人間がまわりの環境を賢く作り変えてきたんじゃないか、という話。
この発想は非常に面白い。

言葉がもつ力

そして、言葉もそうやって人間に作られた「道具」の一つだ、という話。
コミュニケーションに使われるだけでなくて、言語自体が人間を賢くする力を持っている。


他、面白かった内容として、創発とはどういうことなのかの説明とかがあった。

それに関連して、今、制御理論に興味があったりする。

これまでの人工知能の理論は、基本的に2つの軸があって、統計学によるもの(ベイズ推論とか)と、最適化数学によるもの(ニューラルネットワークSVM)とに分けられる。
ただ、創発といった相互作用を考えていくとすれば、そこで出てくるのは力学的な微分方程式で、それを解いていくための強力な武器になるのが、制御理論となってくる。

制御理論については、また別の機会に。

今日はここまで!

現れる存在―脳と身体と世界の再統合

現れる存在―脳と身体と世界の再統合