昨日はトランプゲーム「22」の紹介をした。
実はこれは今日への布石・・・
ということで、「22」のルールをちょっと変更して、さらにテーマを乗せることを考えてみた。
「22」のちょっと不満なところ
「22」はすごくいいゲームで大好きなんだけど、ちょっと不満なところも。
なんだかんだでトランプゲーム
トランプのゲーム、自分は好きなんだけど、ゲーム会だと「えっ、トランプ・・・?」となることが多い。。。
(「トランプゲーム大全」が発売されて、トランプの地位もそれなりに向上した気はするけど)
そうなる理由の多くは、以下のようなものだと思っている。
- コンポーネントが専用のものでない。
- テーマ性がなく、メタファー(比喩)が効きづらい。
- ゲームの目的が分かりづらい。
- 行動の妥当性が理解しづらい。
- ゲーム性が低い(もしくは高すぎる)というイメージがある。
- ババ抜きや神経衰弱のイメージがあると、ゲーム性が低いと類推してしまう。
- 逆に、コントラクトブリッジや変態トリテの存在を知っていると、トランプゲーム=マニアックな世界と思ってしまう。
なので、ほとんど同じルールであっても、やっぱり見映えのいい専用のコンポーネントがあって、テーマも分かりやすいものが乗っていた方が、プレイするまでのハードルが低いと思う。
例えば、トランプゲームの「オーヘル」、それにちょっと毛が生えたような「ウィザード」、「海賊」をテーマに専用のカードを用意して特殊なカードも追加した「スカルキング」では、どれもルールはほとんど同じなんだけど、ゲーム会では「スカルキング」の人気が頭一つ抜けてる。
あるいは逆に、ブラフゲームとして有名な「髑髏と薔薇」なんかは、実際にはトランプでも全然遊べるのだけど、あれをトランプで遊ぼうという人はほとんどいない。
「アブストラクトゲームでもトランプゲームでも、面白ければなんでもござれ!」という人はけっこう珍しくて、やっぱりテーマがちゃんとあって、コンポーネントも見映えがいいゲームを遊びたいという人の方が、ボードゲーム界隈では多いというのが実際のところ。
だから、個人的には「5本のキュウリ」よりも「22」の方が好きなんだけど(この2つはどちらも元が「キュウリ」というトランプゲームなので、兄弟みたいな関係)、ゲーム会では専用のカードが用意されている「5本のキュウリ」が遊ばれる機会が多いように思う。
J、Q、Kの存在意義
絵札のJ、Q、Kは、マイナス点になったときに、どれも10点。
強いカードなんだけど、意外と出せなくて困る・・・という意味で、こいつらにぐぬぬと言わされることも多いのだけど、マイナス点が10点のカードがこんなにある必要はあるのかな、と。
逆に、J、Q、Kをなくしてしまえば、カードの強さは2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10, 11(11はA)しかなくなり、一律に「カードの強さ」=「負けたときのマイナス点」と扱えるので、話は分かりやすくなる。
さらにカードの強さの幅も元に比べて狭まるので、リードするときにどの数字を出すのかがよりシビアになる。
カード交換の意義
「22」では手札の数枚を山札のカードと交換できるというルールがあるのだけど、このルール、ゲームの思考性にはあまり影響していないw
いや、このカード交換にちょっとしたギャンブル性があったり、あるいは山札を使い切って後ろのプレイヤーに「ぐぬぬ」という思いをさせるのが楽しかったりするんだけど、冷静になってみてみると、カードを交換しても大して手札が変わらないことがほとんど。
一応、カード交換をすることで、カードを交換したプレイヤーだけが見ているカードの情報が増えるというのはあるのだけど、正直、このゲームはそこまで考えてプレイするゲームでもないし、その情報が役に立つこともほとんどないと思う。
ということで、カード交換というルールは楽しいんだけど、ルール上の意義という意味からすると、冗長ともいえる。
もっと複数枚リードしたい
「22」が、元となったゲーム「キュウリ」や、そこから派生した「5本のキュウリ」と大きく違う点は、やはり何と言っても「複数枚リード」。
この複数枚リードがあるからこそ、強いカードが手元にあっても1枚だけでは出せないということが起こり、事故が起こるw
ただ、同じ強さのカードは4枚しかないので、あんまり複数枚リード出来ることがなかったりもする。
これは、配られた手札が少ない場合、特にそう。
なので、同じ強さのカードの枚数を増やして、かつ、配られる手札の枚数も毎回一定以上であった方が、複数枚リードする機会が増えそう。
システム面の変更
以上に述べた点を踏まえて、以下のような変更を入れることを考えた:
- 使うカードは2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10, 11が5枚ずつの合計50枚。
- マイナス点を受け取る場合、カードの強さがそのままマイナス点になる。
- 毎ディール、手札は10枚ずつ。(※4人の場合)
もしカードが足りない場合、9枚ずつ、それでも足りない場合、8枚ずつ、・・・としていく。 - カードの交換はなし。
- 複数枚リードは3枚まで。
一応、アプリ化することを考えているので、とりあえず4人専用としてる。
(レイアウト的に、5人以上はやりにくい)
ただし、仮に5人も許すなら、手札は毎回9枚ずつ。
こうすることで、とりあえずテーマ以外の不満点は解消できるかな、と。
なお、最後の「複数枚リードは3枚まで」という変更だけは上に挙げた不満点と関係ないのだけど、手札が多くても10枚しかないのに4枚、5枚リードが飛んでくるともうゲームがぶっ壊れるので、制限を入れた感じ。
テーマは?
さて、肝心のテーマ。
元々このゲームが「キュウリ」と呼ばれていたのは、「困った状態になること」を表す慣用句で「お漬物になる」という表現があるからみたい。
(参考: in a pickleの意味・使い方|英辞郎 on the WEB:アルク)
ただ、日本人にはちょっと分からない表現(^^;
自分がまず思い浮かべたのテーマは、「出る杭は打たれる」。
つまり、「最後に一番大きな数字を出したプレイヤー」=「出る杭」で、そのプレイヤーは「失点する」=「打たれる」、と。
ただ、その場合、途中のトリックの様子がメタファーとしてうまく表現できない。
そこで、何か他にいい表現が出来ないかなぁと考えて、浮かんできたのが「鶴の一声」「キジも鳴かずば撃たれまい」。
つまり、途中のトリックは「鶴の一声」で、より頭の高い鳥が権威を持つけど、最後は「キジも鳴かずば撃たれまい」で、一番頭の高い鳥は目立ってしまったが故に撃ち殺される、と。
イメージとしては、このゲームは鳥たちが頭の高さを競い合っていて、「オレの方が頭が高いね」「いや、オレの方が高い!」「(あ、じゃあ自分は勝負にならないんで頭下げときます・・・)」というやりとりをやっている感じ。
ただし、一番最後は「オレが一番頭が高い!」とすると、猟師に「おっ、鳥がおるやんけ(パーン!)」と鉄砲で撃たれてしまう、とw
こうすると、かなりシュールな光景だけど、メタファーとしてはだいぶ分かりやすいと思う。
そこで、「22」に先程のシステム面の変更を加えて、このテーマを乗っけたゲームをアプリとして作っていきたいかな、と。
名付けて「BirdHead」。
日本語にすると「鳥頭」w
今日はここまで!
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