YWFの仕上げの方は、ちょっとお休み。
Swift 2.0への対応を考えないといけなくなったので。
今日は、ボードゲーム「モダンアート」について、ちょっと語ってみたい。
「モダンアート」ってどんなゲーム?
「モダンアート」はライナー・クニツィアがデザインしたゲームで、絵画を売り買いすることでお金を稼いでいくことを目的としたゲーム。
競り(オークション)を行うボードゲームを一般に「競りゲー」と呼んだりするけど、クニツィアは競りゲーをいくつも作っていて、「モダンアート」もその一つ。
この「モダンアート」に「メディチ」「ラー」(「ラー」のかわりに「ハイソサエティ」を挙げる人もいる)を加えて、(クニツィアの)「三大競りゲー」と呼んだりもする。
競りゲーは難しい?
さて、このゲーム、自分が競りゲー好きということもあって、大好きなんだけど、「どの絵画をオークションにかければいいのか分からない」「オークションに出された絵画をいくらで買ったらいいのか分からない」ということから、苦手だとか、好きじゃないという声もよく聞く。
俗に言う、ソウバカンガー。
「相場観が分からないから、競りゲーは苦手」
「相場観が分からないから、競りゲーはやりたくない」
ソウバカンガー、ソウバカンガー・・・
実際、相場観(=どれくらいの値段をつけるのが妥当か)というのは競りゲーで重要になることが多いけど、実のところ、そこまで重要じゃないと自分は思ってる。
というのも、相場というのは、ゲームのシステム側で妥当な値段が決まるというよりかは、遊ぶする人たちのプレイの仕方で決まってくることが多いから。
「ハイソサエティ」なんていうのはまさにそんな感じで、他の人がこれまでにいくらお金を使っているかで、使えるお金が変わってくるので、相場なんてプレイするごとに変わってくるし、後半になればなるほど吊り上っていくことも多い。
なので、競りゲーで相場を読むときに重要なのは、システムを理解することじゃなくて、人を読むことであったりする。
(それゆえ、動画を作ろうと思って一人回ししようとしても、全然いい感じのリプレイにならないし、AIを作るのも難しい。「人が遊ぶ」からこそ、という要素が競りゲーは強く、それゆえ面白い)
例えば、ブラフゲームとして有名な「髑髏と薔薇」だけど、自分はこれも一種の競りゲーだと思ってる。
すなわち、場に薔薇が何枚あるのか(=相場)を予想して、ベットを行う、と。
宣言した数が本当の相場よりも小さければ、より多い枚数を宣言されてタイルをめくる権利を得られないし、逆に、宣言した数が本当の相場よりも大きければ、髑髏を掴まされることになる。
じゃあ、「髑髏と薔薇」における相場ってどれくらいよ、なんて考える人はいない。
だって、実際に薔薇が何枚入ってるかなんていうのは、プレイする人によって変わってくるから。
だから、人の心理をうまく読めるかどうかとか、あるいは、ブラフを使って人を貶められるかどうかといった、そういった「人」という要素こそが重要になってくる。
とは言うものの、競りゲーではブラフゲームと違って人以外の要素もシステムとして組み込まれているので、ある程度はシステムのことも考慮する必要はある。
(もちろん、そのシステムをどう捉えるのかで相場はやっぱり変わってくるので、結局最後には「遊ぶ人」に辿り着くのだけど)
なので、「モダンアート」ではどういったことを考えてプレイするといいのかについて、自分の考えを書いてみたい。
相場の操作
さて、競りゲーとして有名な「モダンアート」だけど、実際のところ、競りはオマケだったりする・・・
競りなんて飾りです! 偉い人にはそれが分からんのです!
いやいやいや、と思われるかもしれないけれど、「モダンアート」を遊び慣れている人ほど、同じ意見を持っている人は多いと思う。
多種多様な競りを揃え、ゲーム中にやることといったら競りで絵画を売り買いすることだけなのに、その競りがオマケとはどういうこっちゃ?という感じだろうけど、遊び慣れた人たちが集まれば「その人たちの中での相場感」というのはある程度の一致を見るので、競りが半自動的になっていったりする(もちろん、その中で各自の「思惑」が働き、それで値段の変動が起きるから、完全にオマケというわけではないのだけど)。
なので、遊び慣れれば慣れるほど、競りがそれほど重要でなくなってくる。
実際、「モダンアート」から派生した「モダンアート・カードゲーム」では、競りをしないw
それで「モダンアート」の名を冠したゲームとして成立してるのかとなりそうだけど、これが見事に成立している。
なんでかというと、「モダンアート」から競りを取り除いても、ゲーム性を支えている肝心な部分は取り除かれていないから。
(むしろ、その「肝心な部分」がより際立つようにすらなってると言える)
では、「モダンアート」で何が肝心なのかというと、それは相場の操作。
まず、「モダンアート」ですごく重要なポイントは、次のこと:
「モダンアート」で点数が変化するは、自分が絵画を売るときか、自分が絵画を買うときだけ。
この何の変哲もないようなことに気がつけるかどうかが、勝利への鍵といえる。
つまり、ゲームに参加していても、競りで絵画を売買することがなければ、実は何の点数行動も行っていないことになる。
(もちろん、マイナスになる点数行動も行っていないのだけど)
さらに、この2つをそれぞれ分けて考えると、
- 自分が絵画を売るとき
お金が入ってくる→確実にプラスの得点になる - 自分が絵画を買うとき
絵画が手に入る→あとで銀行に売るが、プラスになるかマイナスになるかは確定しない
なので、確実に得点が入る「自分が絵画を売る」ターンで、いかに高く手元の絵画を売れるのかというのが、後者より重要になってくる。
これは、自分の手札の価値を高めて(=相場を操作して)、どれだけお金に変換することが出来るのかということこそが肝心、ということだ。
売り買いしているものが「絵画」となっているけど、上記のような分析をすると、実際のところ、この「絵画」というのはほとんど「株」と考えることが出来る。
たくさん売買された株ほど価値が高くなるし、銀行に売られる(=決算のタイミング)までは価値が確定しないというところも、まさに株だ。
それに、手元の「絵画」の価値を出来るだけ高めて他人に売りつけることを目指すわけだから、もうそれは株ゲーとしかいいようがない。
「モダンアート」は、実は株ゲーだったんだよ!
ΩΩΩ<な、なんだってー!?
どの絵画を売りに出すべきか
でも、そう考えると、「どんな絵画を売りに出すべきか」というのは、割と考えやすくなることに気づくと思う。
つまり、方針は次のいずれか:
- 今価値の高くなっている絵画を売りに出して、確実にお金にする
- 手元に多い絵画を売りに出して、その絵画の価値を高める
もちろん、後者の場合、場の流れというのが重要で、他にこの流れに乗ってくれる人がいるかどうかがポイントになる。
その場合、例えばトップ目だと思われる人が別の絵画を買っていたりすると、その絵画を紙くずにさせようと、流れに乗ってくれる可能性が高い。
(トップ目と思われる人の絵画の価値を下げようという相場の操作になっている)
前者についても、もちろん考えないといけないことはある。
例えば、より値段が高くなる可能性もあるので保留した方がいい場合もあるだろうし、あるいは逆に、今売りつけておかないと相場の操作で紙くずに変わってしまう可能性があるので、相場の操作よりも優先してやらないといけない場合もある。
(こうやって書くと、本当に株ゲーっぽいなw)
この辺りは、他のプレイヤーがどんな絵画を持っているのか、どの絵画の値段を上げたいと思っているのかという、まさに思惑のぶつかり合いになってくる。
そういった思惑のぶつかり合いの中で、これまでに述べたようなことを考えながら、自分の持っているカードをいかに切るのか(実際にカードなんだけどw)が、「モダンアート」で勝つための鍵になってくる。
今日はここまで!
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