この前書いた言葉にするということ。 - いものやま。に関連して、同じPULLTOPのゲームに関して言及した昔の記事をちょっと紹介。
書いたのは2005年6月20日。
このブログでこういうのを書くのはよそうと思ってたんだけど、とあるゲームをやっていて、どうしてもこの感動を書き残しておきたかったので。
なんのゲームかというと、PULLTOPの『ゆのはな』(※18禁)というゲーム。
わかばルートなんだけど、わかばルートの話自体に感動したわけではなく、そのとある一部に限りなく衝撃を受けたので、そのことを書いておきたかった。
思うに、「萌え」について語られるときには、いろいろな語られ方があると思う。
例えば、世俗で言われる属性問題や、以前の記事で自分も書いた、精神分析の対象だったりとか。
けど、やはりそれが「物語」として語られる以上、文学という性質も持ちうるわけで。
キャラクターに関しての萌え(「キャラクター萌え」)は上のような考察でいいだろうけど、それとは別の「萌え」もあるということは、ついつい忘れられがち。
俗に言う「ストーリー萌え」と「シチュエーション萌え」が、それ。
これらについては、文学の観点から考察を与えられるんじゃないかな、と。
まず、ストーリー萌えだけど、これは文学の構造的な観点からの――マクロな視点からのーー分析だといえる。
自分がよく行うのは、この構造自体を抜き出しての考察や分析。
そして、今回言いたいのは、コレ。
「シチュエーション萌え」とは、文学における「異化」に他ならない!!!
前者のストーリー萌えがマクロな視点のものであれば、後者のシチュエーション萌えはミクロな視点によるものだけど、そこにあるのは、普段のさりげないものを、まったくの新鮮味をもって読者に与えることによって萌えさせるという、すなわち、プロセスで言えば異化とまったく同じことが行われている、というのが、今回の気づき。
高校のとき、誰かが書いた「萌えとは何か」という文章で、その人は「涙萌え」を挙げていて、そのときは単に属性の一つみたいな感じで考えていたけど、よくよく考えてみれば、違うことに気づく。
例えば、次のような文章があったとする(文章力ないのはご愛嬌):
夕暮れどき。
ドアを開けて教室に入ると、ただ一人、彼女だけが窓辺に立っていた。
ドアの音につられ、彼女は振り返る。
途端、すっとこぼれ落ちる、一筋の涙。
すると、ここが重要なんだけど、これは場面が絵画のように切り取られて提示されている。
特に、涙がその絵の中で特に浮かび上がるように描かれている。
こういった(切り取られて提示された)「シチュエーション」があって初めて「萌える」のであって、涙そのものに萌えているわけではない、というのが、重要なポイント。
すなわち、そのシチュエーションによって「涙」というものが特別なもののように思わされること――「涙」が異化されるということーーによって初めて、萌えが生まれてる。
そういった意味で、シチュエーション萌えは「絵画的である」といえるかもしれない。
やはり高校のときに、「(マンガでよく出てくるけれど)何で剣道部の女の子って萌えるんだろうね?」という話が出て、思わず口をついたのが、「それは、面をはずした瞬間の、上気して少し赤くなった顔というのがいいからじゃない?」という言葉で、ハイ、想像してみよう、令ちゃんが面をはずした瞬間を。
いいよねw
閑話休題。
今回、『ゆのはな』をやっていて、思わず「そういった萌えも可能なのかぁー!」と一人勝手に感動してしまったのが、これ。
夕暮れのひかりにわかばちゃんは、くったくなく笑った。
内側からやわらかい光があふれるみたいな笑顔。
いいなぁ。
やわらかそうなくちびる。
やわらかそうなほほ。
【わかば】
「拓也さん?」(※主人公の名前)
【拓也】
「え、あ、なに?」
【わかば】
「あの、もしかしてー、
わたしのクチビルにノリとかついてますか?」
【拓也】
「え、え……あ、うん。上唇に」
ついていたのはホント。
でも、俺が見ていたのは、ノリじゃなくて、わかばちゃんだったのだけど。
【わかば】
「さっきノリせんべい食べた時にくっついちゃったんだー。
えへへ」
そういうと、わかばちゃんは、ぺろり、と舌を出して、ノリをナメとった。
【拓也】
「……」
なにもかもがかわいらしかった。
長く引用してしまったけど、重要なのは一番最後。
ハイ、想像してみよう、女の子がぺろっと舌を出して上唇(←さりげなくポイント)をナメる姿を!
萌えるよねw
こう、何気ない動作であるはずなのに、それがすごくかわいらしく描画されていて、すっごく驚いた。
そして、これは文学の異化と同じじゃないか、と気づいて、二重に衝撃を受け、思わずこの記事を書くに至った、と。
こういったゲームって、基本が一人称で、しかも映像・音楽と情報が多いだけに、セリフも含め地の文の細部にこだわる重要性が低くなってしまいがちだと思うけど、こう考えるとけっこう重要なファクターとなりえるのではないかな、とも思った。
この「シチュエーション萌えとはすなわち異化である」という考えは、他に唱えてる人を見たことないけど、けっこう面白い考え方だと思ってる。
萌え論も、もはや語られなくなって久しいけど、萌えが当たり前になってしまった今だからこそ、逆にまた新しい言論が出てくると面白いんだけどなぁ。
今日はここまで!
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