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いものやま。

雑多な知識の寄せ集め

『鳥籠荘の今日も眠たい住人たち〈5〉』。

昨日に引き続き、昔ブログにこそっと書いた文章から。

書いたのは、2008年10月15日とか。


鳥籠荘の5巻、読み終わった。

これはいい痴話喧嘩w
・・・という冗談はさておき。
(いやまぁ、実際壮大な痴話喧嘩を描いているようなものなんだけど)

キーリもそうだけが、壁井さんは本当に話を収束へ向ける描画がとても上手で、そして何よりキレイで。
第4話の最後とか、もちろんこれは終わりではなく始まりへと向かう話なんだけど、思わずホロリと。

少し寂しそうに目を伏せる彼女の顔がガスの向こうに見えた気がした。それでも彼女は無理に突き放すようにそう言って、ばいばいと手を振った。
(『鳥籠荘の今日も眠たい住人たち〈5〉』より)

どうにも涙もろくて、困るw

あと、身体性、というのが、実は自分のテーマの1つとしてあるんだけど、今回のキズナの描画はしびれた。

吐息の塊が首筋を滑り、電気が走るみたいなちりちりした感覚が全身を駆け抜ける。痛みと快感の真ん中へんの、癖になる感覚。
(『鳥籠荘の今日も眠たい住人たち〈5〉』より)

思わず身体に追体験がなされるかのようで、すばらしい・・・

あとがきによればあと1巻で終わりだそうで。
あと1巻あるということはそれはそれでいいことなんだけど、でもこれで終わりとしてしまうのもいいんじゃないかなぁとも思え、微妙なところ。
(物語は、全てを語ってしまうよりかは、曖昧なくらいがちょうどいいことも多いと思うんよね。)


なお、この本に関してはもう一つ「一行小説」という題でも文章を書いてたので、それも。

書いたのは2008年10月12日。


今、壁井ユカコさんの『鳥籠荘の今日も眠たい住人たち』の5巻を読もうとしてたんだけど、その書きはじめが凄くいい。

ある朝、山田華乃子が目を覚ますと、パパが人だった。
(『鳥籠荘の今日も眠たい住人たち〈5〉』より)

もちろん、5巻だから、それまで読んでいる人だったら山田華乃子のお父さんは猫(の着ぐるみ)だと知ってるけど、そうでない人にはこれはかなり奇妙な文章。
(もちろん、猫だと知っていても、何が起こったんだ、と奇妙に感じるけど。)

以前、電撃文庫の作家の誰かがエッセイで「一行小説」というものを言ってたのを思い出した。

例えば、川端康成の『雪国』、

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

のように、その一行だけで想像力がかきたてられるようなものは、それだけで小説と呼べるんじゃないかな、という内容だったと思う。

この壁井さんのこの一文は、一行小説と呼べると思う。
自分もこういったものを思いついて書いてみたい。

(検索したら出てきた。おかゆまさきさんのエッセイだった。)


ちなみに、おかゆまさきさんのエッセイは電撃文庫のHPからはなくなってしまったみたいだけど、WebArchiveで見ることが出来る。

電擊徒然草 第42回 おかゆまさきさん(WebArchive)

面白いのでオススメ。

あと、全く別の話だけど、壁井さんの(打ち切りになってしまった)『クロノ×セクス×コンプレックス』は、なんとか続き、出ないんだろうか・・・

面白かったと思うんだけどなぁ。

今日はここまで!