いものやま。

雑多な知識の寄せ集め

『劇場版 カードキャプターさくら 封印されたカード』を考察してみた。

1/26(金)で『劇場版 カードキャプターさくら 封印されたカード』のリバイバル上映が終了した。

ちなみに、シネ・リーブル池袋で最後の上映回を見てきたんだけど、この回は満席・売切れになってた。

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ホントに愛されてる作品なんだなぁ、と。

結局、5回しか見にいくことが出来なかったんだけど、十分堪能できたのでよかった。
そのついでで、この作品に対する自分の考察をちょっと語ってみたいと思う。

※以下、ネタバレを含むので、注意。
まぁ、20年前の作品だから、今更ネタバレもないんだけど(^^;

前回見に行ったときの感想は、以下から:

あらすじ

一応、あらすじも。

小狼が香港に帰ってしまって、さくらも小学6年生になっていた。
そんな夏休みの日、友枝町全体で開かれる「なでしこ祭」を前にして、小狼と苺鈴が友枝町にやってくる。
さくらは小狼に「好きだ」と言ってもらえた返事をしようとするが、なかなか上手くいかない。

そんな中、街の中で郵便ポストや橋が消えるという事件が起き、さくらカードも次々と消えていってしまう。
それは、エリオルの屋敷の下に封印されていたカード、「無」によるものだった。
「無」もさくらカードにすれば事件は解決するが、そのためには「一番大事な想い」を失わなければならないという・・・

解決策を見いだせないまま、「なでしこ祭」ではさくら達のクラスによる劇『悲しい恋』が演じられていた。
そこに「無」のカードの襲撃が。
大切な人たちが次々と消されていく。
クラスの友達や家族に始まり、知世、苺鈴、そして、ケロちゃんにユエまで・・・

封印を決意するさくらは、「無」との最終決戦に臨む。
しかし、そこにいた「無」は、ただ「友達」を取り戻したいだけという、いたいけな少女でしかなかった。
そんなさくらと「無」との間を、さくらカードたちが繋ぐ。
さくらカードたちも、「無」と「友達」になりたかったのだ。

いよいよ「無」のカードを封印し、「一番大事な想い」を失ってしまうというそのとき、小狼が現れる。
「無」のカードは、さくらではなく小狼を選んだ。
小狼の方が、残っていた魔力が多かったからだ。
「一番大事な想い」を失う小狼・・・
そして、「無」のカードは封印され、さくらカードに。
しかし、さくらの手に収まったのは「無」のカードではなく、さくらの「名前のないカード」と組み合わさった「希望」のカードだった。

「一番大事な想い」を失ってしまった小狼
そんな小狼を前に、さくらは自分の想いを伝える。

小狼くんが私のこと、何とも思ってなくてもいい。
 私は小狼くんが好き。
 私の一番は、小狼くんだよ?」

が、その想いは小狼には届かない・・・
かと思われた。
しかし、小狼はさくらに答える。

「俺もだ・・・さくら」

想いは届いたのだ。

***

さて、最後の部分、ホントに「さくらちゃん、よかったね・・・」となるんだけど、よくよく考えると、かなりご都合主義に感じる部分も。
「そのとき、不思議なことが起こった」(by 仮面ライダーブラックRX)くらいの荒技で、ハッピーエンドにしているので。
まぁ、そんなご都合主義とか、もうどうでもよくなるくらいに感動的なので、映画見てるとあまり気にならないんだけどね。
ただ、ある程度は筋の通った解釈を示すことが出来ると思っているので、これについてはあとで。

劇中劇の妙

何はともあれ、この作品を語る上でまず語っておかないといけないのが、コレ。
劇中劇の妙。
これがホントに素晴らしすぎる。

この作品でキーとなっているジレンマは、

  • 「無」のカードをさくらカードにしなければ、みんなが消えてしまう
  • しかし、そうすると、「一番大事な想い」が消えてしまう

というもの。
簡単に言えば、「世界」をとるか、「個人」をとるか、という二択。

さくらちゃんはいい子なので、「世界なんてどうでもいい」とはならないし、かといって、「小狼への想いを失ってもいい」ともならないので、その間で苦悶することになる。

そして、劇はどんな内容なのかと言えば、「魔法の石」という強大な力を持った石をめぐって争う二つの国の、王子と姫の物語で、本番で王子を演じるのが小狼、姫を演じるのがさくらという配役。
二人は仮面舞踏会でお互いの正体を知らずに出会い、互いに好き合うが、その正体を知ることで、その恋が禁じられた恋であったことに気がつく。
王子は自分の想いを姫に伝えるが、姫はその想いには答えることが出来ないと言い、やがて、王子は姫を守って死んでしまう。
そして、姫は後悔するのだった。
「こうなるのなら、自分の想いを伝えていればよかった」と。

まるで、この作品(封印されたカード)のアナザーエンドを描いでいるかのような劇で、ここでも

  • 自国の民のためには、魔法の石を手に入れなければならない
  • しかし、そのためには、自分の想いは捨てなければならない

という、「公」をとるか、「私」をとるかという、似た構造が描かれている。

そして、それを小狼とさくらに演じさせるという、ね。

さくらが台本を読みながら

さくら
「・・・まるで心が自分のものではないかのようです。
 あの人を好きになってはいけないのに、私は私の心を止めることが出来ない。
 あの人の優しい笑顔が忘れられない。
 あの人に会いたい。
 会って、私の本当の想いを告げてしまいたい・・・」

(『劇場版 カードキャプターさくら 封印されたカード』より)

さくらが劇の練習で

さくら
「・・・なぜこんなことに。
 私を守るために死んでしまうなんて。
 あなたがいなければ、私に幸せなどないというのに。
 あなたに私のこの想いを伝えればよかった・・・
 本当の想いを・・・」

(『劇場版 カードキャプターさくら 封印されたカード』より)

劇本番で

さくら
「あなたが、我が国と争っている、隣の国の王子だったなんて・・・」

小狼
「姫、どうか泣かないで・・・
 誰よりも笑顔が似合うあなたを、悲しませてしまう私を許してください。
 けれど、この気持ちを止めることは出来ない」

小狼
「私は・・・
 私は、あなたが好きです」

さくら
「っ!」

さくら
「私は・・・
 私は、あなたの気持ちに答えることは出来ません」

小狼
「私を、お嫌いですか?」

さくら
「違いますっ!
 違い・・ます・・・」

二人
(・・・)

さくら
「私は・・・私は・・・
 いいえ、言えません。
 私のこの想いは、あなたにもーーいえ、あなたには」

さくら
「どうか、お願い。
 私のことなど、忘れてしまってください。
 心から、なくしてしまってください・・・」

(『劇場版 カードキャプターさくら 封印されたカード』より)

もうホントね、何なの、これ。
毎回、涙腺が崩壊する。

さくらは小狼のことが好きだし、好きだということをすごく伝えたいと思ってる。
そのさくらをして、「あなたの気持ちに答えることは出来ない」「私の想いを伝えることは出来ない」、さらには、「私のことなど忘れてしまってください」などと言わせるとか、ホントに・・・

劇中劇を使うことで、作品の構造を作品内に表せしめ、そして、さくらに本心とは真逆のことを言わさせるとか、なんて見事な手法なんだと言わざるを得ない。
こんな巧みな作品は、そうそうないと思う。

さらに、その劇中劇を悲劇で終わらせることで、この作品も悲劇で終わってしまうんじゃないかという不安を観客に引き起こさせる。
同時に、さくらの不安も引き起こし、葛藤を強調させる。
だって、想いを伝えられない苦しみを、さくら自身が、劇で自分で体験するのだから。

もうホント、この劇中劇、どんだけ仕事してるんだと。
素晴らしすぎて、脱帽の一言。

おまけで書いておくと、冒頭のバトルも作品の導入としてよく出来てるなぁ、と思う。
まぁ、こちらは作品に一気にのめり込ませるために、冒頭にひと盛り上がり用意するという、よくある手法なわけだけど。
ガルパン劇場版の冒頭のエキシビションマッチや、ユーフォニアム劇場版2作目の冒頭のプロヴァンスの風とかは、まさにこれ。

小狼の決心

ところで、この作品を見たときに気になってたのが、さくらに「無」のカードのことを相談されたときの、小狼の態度。

小狼は、「そうしなければ、街や人がなくなってしまうのなら、仕方ない」とさくらに答えるわけだけど、それはあまりに冷たすぎないかな、と。
まださくらから返事はもらえてないとはいえ、さくらの気持ちはある程度知っているわけで、そんなさくらに対して、「仕方ない」と言うのは、さすがにどうなのかと。
確かに仕方ない部分はあるけど、だからといって、そんな簡単に、好きになった相手の気持ちがなくなってしまったっていいと言えるものなのかと。

当然、これにはさくらもショックを受け、雨の中、傘もささずに駆け出していってしまうわけで。
この小狼の態度は、あまりに酷い。

ただ、今回リバイバル上映を観ている中で、実はそうじゃないんじゃないかと気がついた。

最後、さくらが「無」のカードを封印するとき、そこに現れた小狼は、こう言った:

「間に合ってよかった。
 俺の魔力の方が、まだ残っていたみたいだな」

間に合ってよかった、ということは、最初から小狼は封印の場に居合わせようと考えていたことになる。
つまり、さくらのかわりに自身の「一番大事な想い」を失うことを、小狼は考えていたわけだ。
では、いつから・・・?
最後の決戦の途中で思いついたという可能性も考えられる。
というか、最初はそうだと自分は思ってた。
けど、よくよく考えてみると、違うことに気がつく。

決戦前、さくらが「早くさくらカードに変えて、みんなを取り戻さなきゃ」と言ったとき、小狼は間髪入れずに「俺も行く」と言っている。
さらに、知世がさくらにコスチュームを渡したあと、知世は小狼に近づいて、ささやくようにこう言っている:

「一人だけ帰ってこないなんて、いけませんわ」

この言葉に、小狼は目を見開いている。

つまり、小狼はこの時点で、さくらの代わりに自身の「一番大事な想い」を失うつもりで、決戦に臨んでいたと考えられる。
そして、そんな自己犠牲にしようとしていた小狼に知世は気づき、さくらには聞こえないように、この言葉を小狼に贈ったと考えられる。

さらに考えを進めると、じゃあ、小狼は実はもっと前から自己を犠牲にすることを考えていたんじゃないか、というところに行きつく。
それこそ、さくらから相談を受けた、その瞬間から・・・

実のところ、さくらが小狼に相談しているシーンを見返してみると、実はさくらは「誰の」一番大事な想いが失われるのかということは、小狼には話していない。
(さくらはエリオルから「一番魔力が残っていた人」の想いが失われると聞いてる)
なので、ここで小狼が自己犠牲を決心するには、情報が足りていなかったりする。

けど、おそらく小狼は、なんとなく気がついていたんじゃないかな、と。
というのも、小狼が「仕方ない」とさくらに告げるまでには若干の時間があり(このときのバスが通過する音が、妙に生々しい・・・)、さくらに「仕方ない」と告げたときも、悲痛に歪んだ顔というわけではなく、遠くを見つめるような、決意のこもった眼差しになっているから。
この短い間に小狼は考えを巡らせ、そして、さくらではなく、自分の想いを犠牲にする決心を行ったんじゃないのかな、と。

そう考えると、この小狼の態度も、「さくら」より「みんな」をとったという冷たいものというわけではなく、「自身」より「さくら」と「みんな」をとったという、さくらへの想いに溢れたものだったんだろうなぁ、と。

もちろん、そのような自己犠牲がいいかどうかは、別として。
劇中劇の最後でも「あなたがいなければ、私に幸せなどないというのに」というセリフが紡がれているし、知世も「一人だけ帰ってこないなんていけない」と告げている。
実際、さくらを悲しませてしまったわけだし。
この辺りは難しいところ。

さくらの選択

あと、ちょっと触れておきたいのが、さくらの選択について。

前述した通り、この作品でのジレンマは、「世界」をとるか、「個人」をとるか、というもの。
これに対して、さくらの出した回答は、なんだったのか。

結果だけ見れば、「世界」も「個人」もとれてるので、いずれの選択もしなかった(あるいは、どちらも選択した)かのようにも見える。
ただ、それはある種の「奇跡」が起こったからで、実際にはその「奇跡」を起こすに至った第三の選択を、さくらはしているんじゃないかな、と。
それは、アウフヘーベンに至るジンテーゼと呼ぶには、ちょっと弱いものだけど。

その選択というのは、「『無』のカードと『なかよし』になるために、『無』のカードを封印する」という選択。

最終決戦の前、さくらは「みんなを取り戻す」ために、「無」のカードを封印すると言っている。
つまり、この時点では、「個人」よりも「世界」をとるという選択を行なっている。
これは、街の惨状や、大切な人たちがいなくなってしまった現実に触れ、もはや「個人」をとるなんて言ってられない状況になってしまったから。
「無」のカードと対峙したときも、その想いが強く吐き出されている。

けど、これが「無」と話す中で、全く氷解してしまう。
さくらの頭の中からは消えてしまっている。
というのも、「無」のカードは、ただ「友達」であるはずのカードたちと一緒に居たかっただけだということが分かったから。

そして、カードたちの導きもあり、さくらはこの「無」のカードと「なかよし」になりたいと願うようになったんだと思う。
そのために、「無」のカードを封印する、と。

これらの選択は、いずれも「無」のカードを封印するということに違いはないのだけど、「無」のカードに対する態度が180度変わってしまっていることに気づいて欲しい。
最初は、「無」のカードはみんなや街を消してしまう「敵」で、封印することで「敵」を倒し、そしてみんなを取り戻す、という構図だった。
それが、「無」のカードと話すことで、「無」のカードは「敵」ではなくなってしまっている。
一緒に居たいと願う、「友達」の一人に変わっている。
この心の変化が、最後の奇跡へと繋がっていったんじゃないかな、と。

これは、「最後の審判」でのユエとさくらの会話を思い出させる。

ユエ
「・・・なにが『審判者』だ。
 結局、最初から次のクロウカードの持ち主は決まってたんじゃないか」

(中略)

さくら
「ユエさん・・・
 きっと、すっごくクロウさんのこと、好きだったんだね」

さくら
「わたしなんかまだまだ子どもだし、魔力もぜんぜんだし・・・
 寝坊ばっかだし、算数も嫌いだし、なんにもできないけど・・・
 カードのこともケロちゃんのことも大好き。
 きっとユエさんのことも好きになれる。
 ううん、もう好きだよ!」

さくら
「『主』とかじゃなくて、『仲よし』になってほしいな」

ユエ
「・・・目を閉じろ。
 審判終了。
 我『審判者・ユエ』、さくらを新しい主と認む」

(『カードキャプターさくら』より引用 ※月はユエと表記)

「なかよしになりたい」というさくらの想いが、ユエの心を溶かしたように、この劇場版においても、「なかよしになりたい」というさくらの想いが、最後の奇跡に繋がったんじゃないかな、と。

なぜ小狼は大丈夫だったのか

では、なぜ小狼は大丈夫だったのか。
それについて、考察していってみたい。

なぜ「一番大事な想い」が失われないといけなかったのか

そもそもの話として、なぜ「無」のカードを封印するのに、「一番大事な想い」が失われないといけなかったのか。
ストーリーの都合上、と言ってしまえばそれまでだけど、それだけじゃないと自分は思ってる。
まずはそこから話していきたいと思う。

ここで一つ、明確にさせておきたいこと。
それは、「一番大事な想い」が失われないといけなかったのは、「無」のカードを封印するからじゃなくて、「無」のカードをさくらカードにするからだということ。
封印するのとさくらカードにするのは、ほぼ同時なので、この2つを区別することに、何の意味があるんだろうと思うかもしれない。
けど、この区別がけっこう重要だったりする。

思い出して欲しいんだけど、クロウカードをさくらカードに変換するとき、さくらは必ず変換したカードを即座に使用してきた
それがまるで、クロウカードをさくらカードに変換するための条件であるかのように。

エリオルによれば、クロウカードをさくらカードに変換するのは、かなり危険らしい。
そのために、(事件を起こしたりして)さくらカードを使わざるを得ない状況にさくらを追い込み、そして、さくらカードに変換させてきた、と。
なので、おそらく、「さくらカードを使わなきゃ」という強い意志がさくらカードの変換には必要で、当然、その意志は嘘偽りのものでは「足りない」ので、変換後にその意志の実行(つまり変換されたさくらカードの使用)が、必然的に必要だったんだろうなぁ、と。

もちろん、ただ使えばいいというだけなら、なんか適当なものを消せばいいだけなので、何も「一番大事な想い」でなくたっていいだろうとは思うんだけど。
まぁ、「無」のカードは強大な魔力を持ってるから、その変換にはさらに強大な魔力が必要で、その強大な魔力を以って実現する必要のあることとなると、「一番大事な想い」をなくすとかになってしまう、とかなんだろうなぁ、と。

ちなみに、想いを失うーー忘れてしまうということ自体は、必ずしも悪いこととは限らない。
後述する話とも関係してくるんだけど、「忘れることが出来る」ことの凄さを、そういえばCLAMPは書いてたなと思い出したので、引用:

店長
「パソコンだから出来ることと、パソコンだから出来ないことがあります。
 それは、人間だから出来ることと出来ないことがあるのと同じです。
 いや、パソコンであることのほうが悲しいこともありますよ」

(中略)

店長
「僕らは少しずつ時間の力を借りて昔の痛みを乗り越えていけるけど、
 パソコンは持ち主が消してやらなければ、どんなに辛いこともずっと覚えています」

(『ちょびっツ』より引用)

閑話休題

ということで、さくらカードへの変換にはさくらカードの使用が必須なんだと考えると、「一番大事な想い」を失うという効果は、実際に発現していたんだろうなぁ、と。
そういう意味で、「名前のないカード」と一緒になって「希望」のカードに変わることで、「一番大事な想い」を失うという効果はキャンセルされたんだ、という説は、ちょっと説得力が弱いかなと思う。
それに、それだとまさに「そのとき、不思議なことが起こった」レベルで、ただ奇跡が起こっただけ(=さくらと小狼の運がただよかっただけ)という話になってしまうので。

ツイッターで見かけた考察

一つ、ツイッターで見かけた面白い考察は、「名前のないカード」が小狼の身代わりになったんじゃないか、という説。
「名前のないカード」はさくらの想いが作り出したカードで、さくらの一番大事な想いと魔力が詰まってる。
なので、「無」のカードは、小狼の「一番大事な想い」の代わりに、その場で一番魔力の残っていた「名前のないカード」の、そこに込められていた「一番大事な想い」を失わさせて、さくらカードに変わったんじゃないか、と。

これは、効果が奇跡でキャンセルされたという説に比べると、だいぶ説得力がある。
けど、まだ気になるところがある。

まず気になるのは、じゃあなぜ「無」のカードはさくらカードになったとき、「希望」と名前が変わったのか。
「名前のないカード」と合わさったのだから名前も変わるだろう、と素直に捉えてもいいけど、そうだとしても、その名前が「希望」である理由は、ちょっと分からない。

それと、「無」のカードは明らかに小狼をターゲットにしていた。
「名前のないカード」はそこに割り込んだわけだけど、割り込むくらいで代わりになれるものなのか、という疑問が残る。
もし、割り込んで代わりになれるくらいに魔力が高かったのであれば、「無」のカードは最初から小狼ではなく「名前のないカード」をターゲットとして選んでいただろうし。

クロウカードの枚数

さて、ここからは自分の考え。

まず注目したいのが、クロウカードの枚数。

アニメ版で、クロウカードの枚数は、52枚となっている。
これは、ケロちゃんも劇中で「クロウカードは全部で52枚やろ」と言っている通り。
ところで、この枚数、何か覚えのある数字じゃないだろうか・・・
そう、これは、トランプの枚数と同じ。

おそらく、アニメ版でクロウカードの枚数が52枚になったのは、グッズとしてトランプが売れるよね、とか、1年が52週だからちょうどいいよね、とか、そういった軽い理由だったと思うんだけど、あえてこの枚数に注目してみたい。
後付けでこの枚数の設定が利用された可能性は考えられるし。

ちなみに、興味深いこととして、劇中劇でさくらの侍女役を演じた4人のドレスのモチーフは、それぞれトランプのマークになってる。
奈緒子ちゃんがスペード、千春ちゃんがハート、利佳ちゃんがダイヤ、そして、苺鈴がクラブ。
4人だったからトランプのマークをモチーフにしたのか、それとも・・・

何はともあれ、クロウカードをトランプと対応させると、面白いことが見えてくる。
それは、さくらの「名前のないカード」の立ち位置。
52枚のいずれでもない、53枚目のそのカードは、すなわち「ジョーカー」になっている。
「ジョーカー」というのは、「何者でもないが、それゆえ、何者にでもなれる」カード。
これがまずポイントになる。

さくらの無敵の呪文

それを踏まえた上で、「名前のないカード」の生まれたシーンを思い出して欲しい。

原作では、知世からの電話で、急がないと間に合わないことを告げられたとき、知世から「さくらちゃんには無敵の呪文がありますもの!」と背中を押され、さくらは「・・・絶対、だいじょうぶだよ」と、答えている。
一方、アニメ版では、知世のセリフはカットされ、代わりに、さくらのこぼした涙から魔法陣が展開し、「名前のないカード」が生まれている。
つまり、「名前のないカード」は、「絶対だいじょうぶだよ」というさくらの無敵の呪文の具現として表現されていると見ることも出来る。
もちろん、純粋に小狼への気持ちの具現としてみる解釈も可能だけど。

ここで重要なのが、「絶対だいじょうぶだよ」の呪文自体は、具体的に何かを生み出したりはしないということ。
もちろん、気持ちの変化を与えたり、次の行動を引き起こしたりして、その結果として、何かを生み出すことに繋がってはいくんだけど。
けど、そこで生み出されたものは、あくまで呪文によって引き起こされた行動の結果であって、呪文自体は何も生み出していないことに注意しないといけない。
そして、それがゆえに、呪文によって引き起こされる行動は多彩なものになり、結果として、生み出されるものも多彩になる。
つまり「絶対だいじょうぶだよ」の呪文は、「何も生み出さないが、それゆえ、何でも生み出すことが出来る」呪文となっている。
ある意味、創造の極点というか。
そして、これはまさに、先に述べた「ジョーカー」の立ち位置になっている。

「創造」の条件

さて、そんな「何者でもないが、それゆえ、何者にでもなれる」「何も生み出さないが、それゆえ、何でも生み出せる」「創造の極点」とも呼べる「名前のないカード」だけど、実は、その力を最大に発揮するには、一つ、条件が必要なことに気がつくだろうか。
それは、「余白」の存在。
「何者でもない」がゆえに何者にでもなれる、というのであれば、すでに何者かであったのならば、そこからなれる者の範囲というのは、自然と限られてきてしまう。
同様に、「何も生み出さない」がゆえに何でも生み出せる、というが、すでに何かが生み出されていたならば、そこに加えて生み出せるものは、自然と限られてきてしまう。

何か別の姿になるには、今の姿を捨てなければならない。
何かを生み出すには、今あるものを失くさなければならない。
「破壊」と「創造」ーー
そう、「創造」の前には、先立って「破壊」がなければならない。

「希望」を生み出すもの

ここまでくれば、自分が何を言いたいのかは、大体分かってきたんじゃないかと思う。

そう、「名前のないカード」が「創造の極点」とも呼べるカードなら、逆に、「無」のカードは、「破壊の極点」とも呼べるカード。
それは、今あるものを、何もかも無くしてしまうカード。
劇中でケロちゃんも言ってた通り、なんとも物騒なカードである。

けど、これが「創造の極点」たる「名前のないカード」と組み合わさることで、その「破壊」の意味は、大きく変容させられることになる。
その「破壊」は、「創造」を生み出すための「破壊」ーー

「無」のカード単体では、現状を破壊することしか出来ない。
破壊した後には、何も残らない。

一方、「名前のないカード」単体では、現状を変えることは出来ない。
何もかも生み出すことは出来るかもしれないけど、今すでにあるものは、変わらずそのまま残り続ける。

しかし、この2つが組み合わさればーー
そう、何もかもを変え、何もかもを創っていくことが出来るようになる。
今ある枠を壊し、飛び越え、何者にだってなることが出来る。
それこそが、「希望」。

何もかもを無くす「無」のカードと、何もかもを生み出す「名前のないカード」が組み合わさることで、それは「希望」のカードとなった。
「希望」のカードは、何もかもを無くし、それがゆえに、何もかもを創っていくことが出来るカードだと言える。

思い返してみれば、さくらカードへの変換も、破壊と創造によって成り立っていた。
さくらの呪文を思い出して欲しい。

「クロウの創りしカードよ、古き姿を捨て、生まれ変われ。
 新たな主、さくらの名の下に!」

このように、クロウカードはクロウカードでなくなることで、さくらカードとして生まれ変わることが出来ている。
「希望」のカードは、そんなさくらカードの象徴なのかもしれない。

小狼の「一番大事な想い」

こうして「希望」のカードがどういったカードなのかを掴むと、小狼がなぜ大丈夫だったのかが見えてくる。

そう、小狼は、「一番大事な想い」を失わなかったわけではない。
「希望」のカードによって、小狼は確かに一度、「一番大事な想い」を失っている。
そしてまた、さくらに新しく恋をした。

古き恋心はなくなり、そして、新たな恋心として生まれ変わった。
それゆえ、小狼は大丈夫だった、と。

劇中でも、小狼は言っている。

「この気持ちがなくなっても、俺、またさくらのこと・・・」

そう、何度だって、何度だって、さくらがさくらである限り、小狼はさくらに恋をする。
何度だって、さくらに新しく恋することが出来る。
だから、さくらと小狼がいれば、二人は「絶対、だいじょうぶ」なのだ。

実のところ、この考えに至ったのはけっこう最近で、『宇宙パトロールルル子』を観たのが大きい。
(余談だけど、『宇宙パトロールルル子』も非常に面白い作品だったので、オススメ)

ルル子
「宇宙とか虚無とか、中学生の私には全然意味分からない。
 でも、これだけは分かる。
 これは、私がノヴァくんを好きっていう気持ち。
 何度奪われても、この想いはもう、絶対に消えることはないの。
 ねぇ、ノヴァくん、覚えてる?
 あたしね、嬉しかったんだ。
 二人で頑張ろうって、あなたは言ってくれた。
 その、たった一言で私の中に生まれた、光を超えて無限に広がり続けるこの想いが、
 まだ13歳の普通の中学生だった私の世界を変えたの!」

(『宇宙パトロールルル子』より引用)

何度恋心を失っても、何度だって恋してやる、この恋心が消えることは、決してない、という、ルル子の強い想いが、とても印象的。

さくらカードと陰陽のバランス

ところで、「無」のカードがさくらカードになったあと、陰陽のバランスの問題はなくなったのだろうか。

「無」のカードが「無」のカードのままさくらカードになっていれば、この陰陽のバランスは、何も問題がなかった。
52枚のカードが陽を受け持ち、「無」のカードが陰を受け持てばいいだけだから。

けど、実際には「無」のカードは「無」のカードではなくなり、「希望」のカードになってしまった。
はてさて、それでバランスに問題は生じないのだろうか・・・?

これに関しては、そもそもさくらカードでは、陰陽について考える必要がないんだろうなぁ、というのが、自分の考え。
それは、あくまで持論だけど、クロウの「闇の力」とさくらの「星の力」では、性質に差があると思っているから。

電力と磁力

以下は自分の考えだけど、クロウの「闇の力」は、電力に近いんだと思っている。
一方、さくらの「星の力」は、磁力に近いんだと思っている。

電気というのは、プラスとマイナスがあるわけだけど、実体として存在するのは「電子」(=マイナス)だけで、その偏り具合が見かけ上のプラスとマイナスを生み出している。
そして、マイナスの少ない側(=プラス)に向かってマイナスの多い側(=マイナス)から電子が流れることで、電気は仕事をする。
このとき、電力が発生する代わりに、電子の偏り具合はどんどん減っていってしまう。
だから、化学反応を使ったり(電池)、運動エネルギーを使ったり(発電機)して、電子の偏り具合を保ち続ける必要がある。

一方、磁気というのは、「電子」が動いたときに、その周りに発生する。
電磁石とかだと、その電子の流れは電力によって生み出されるわけだけど、永久磁石とかだと、(厳密にはスピンとか出てきてよく分からないんだけど、イメージとしては)電子が原子核の周りを回っていることで生み出される。
なので、永久磁石は、外部から電力を供給することなく、ずっと磁力を保ち続けることが出来る。

「闇の力」というのはまさに電気のようなもので、そこに偏りを発生させることで、魔法という効力を生み出しているんだと思っている。
52枚分のカードにはプラスを、「無」のカードにはマイナスを与え、プラスの力を持ったカードは、そのプラスの力を放出することで、魔法を発現する。
ただ、そうするとカードに込められたプラスの力はどんどん減っていってしまうから、術者が定期的にプラスの力を補充していってやらないといけない。
あと、当然プラスの力をマイナスの力にぶつけても、相殺されて0になってしまうので、プラスの力はマイナスの力には一切通用しない。

一方、「星の力」というのはまさに永久磁石のようなもので、カードに込められた魔力がその中で動き続けることで、魔法という効力を生み出しているんだと思っている。
ここでは、何かを陰陽に分ける必要すら存在しないーーというか、厳密にいうと、陰陽に分けることがそもそも出来ない。
だって、そこに陰陽の偏りはないわけだから。
(これは、N極だけの磁石やS極だけの磁石を作れないようなもの)

ちなみに、なぜ自分がこのように考えているのかというと、クロウ、それにエリオルが、次のように言っているから:

クロウ
「その杖には、新しい力が宿っています。
 太陽でも月でもない、あなただけの『星』の力が。
 たとえ今は小さな光でも、
 自分で光りつづける星の力が・・・」

(『カードキャプターさくら』より引用)

エリオル
「しばらくは、わたしがカードに残した闇の力で
 カード達は活動できますが、
 ずっとそのままではやがて魔力を失い、
 クロウカード達はただのカードに戻ってしまう」

(『カードキャプターさくら』より引用)

つまり、闇の力は自然と失われていってしまうのに対し、星の力はずっと残り続けることが出来る、と。
これはまさに、電池と磁石の関係。
さらに、今回の映画で陰陽の話が出てくると、それはまさに電気のプラスとマイナスの話になっている。

原作のクロウカード

ちなみに、アニメ版、そして「封印されたカード」では、52枚のクロウカードと「無」のカード1枚で陰陽のバランスをとっていると言っていたわけだけど、原作の方はどうなのかな、という話。

これもあくまで自分の考えで、公式にそういう設定があるわけではないんだけど、実は、原作は原作で、うまいこと陰陽のバランスをとってるんじゃないかな、と。

そう思うきっかけになったのは、これまたクロウカードの枚数。

原作のクロウカードの枚数は19枚で、すごく中途半端な枚数になっている。
タロットカードを意識するなら、大アルカナの22枚とかになりそうなもの。
それに、19というのは素数
太陽と月、というように、陰陽を感じさせる要素があるわけだから、偶数にして、太陽所属の陽のカードと、月所属の陰のカードにキレイに分かれるようになっているのが普通だと思うんだけど。
実際、「光」と「闇」はそれぞれケルベロスとユエの第一配下のカードと言及されてるし、「火」と「地」はケルベロスの属性、「風」や「樹」はユエの属性と言及がされている。

と、ここで、ある特殊なカードの存在に気付くだろうか。
それは、「鏡」
さくらの対の存在とも言える、「鏡」のカード。
なら、逆に考えれば、さくらもカード達の中に入れてしまえば・・・
さらにいうと、守護者であるケルベロスとユエも加えれば、数は22になり、大アルカナに揃うことになる。

そして、以下のような感じで、陰陽のバランスがとられていたんじゃないかな、と:

 
さくら
守護者 ケルベロス ユエ
第一配下
四大元素 火、地 水、風
その他 剣、灯、雷、花、跳、迷 盾、影、消、樹、翔、幻

なお、その他についてはそれっぽいのに分けてるだけだけど、意外と対応が取れてたり。
(剣と盾、花と樹、など)
CLAMP(というか大川さん)がここまで考えてたかどうかは分からないけど、考えててもおかしくはなさそう。


以上で、考察は終わり。
めっちゃ長文になったけど、語りたいことは語りつくせたかな。

今日はここまで!

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