いものやま。

雑多な知識の寄せ集め

『てつがくフレンズ』を読んでみた。

すごーい! 君は哲学が好きなフレンズなんだね!

ということで、飲茶さん(原作)の新刊、『てつがくフレンズ 女の子の姿になった哲学者たちの哲学学園』を読んでみたので、感想とか。

てつがくフレンズ 女の子の姿になった哲学者たちの哲学学園

てつがくフレンズ 女の子の姿になった哲学者たちの哲学学園

概要

この本が生まれるきっかけとなったのは、飲茶さんの「哲学的な彼女」企画。
初回は小説のみの募集だったんだけど、2回目は小説とイラストの募集が行われ、そこで選ばれた優秀なイラストは本としてまとめられ、『哲学ガールズ』として発売された。

哲学ガールズ

哲学ガールズ

これで終わりなのかな?と思っていたんだけど、それから時が経つこと数年、『哲学ガールズ』に出てきたキャラクターたちが飲茶さん原作の4コママンガとして出版されたのが、この作品。

今回登場するのは、主に古代の哲学者たち・・・が、女の子になったキャラクターたちw
ソクラテスプラトンを始め、タレスピタゴラス、ゼノン、それに、意外とキーキャラクターになっている、デモクリトス(原子論を最初に唱えた人)などが出てくる。
それと、東洋からは孔子なども登場。
その他にも、近代の哲学者がちらほら・・・

これらの可愛らしいキャラクターたちが、哲学的なテーマに関して、あれやこれやギャグを交えつつお話しする、ほのぼの日常系マンガ。

・・・とでも思ったかw

いやいや、確かに最初の方は他愛もない日常系。
それが、中盤に「ある事件」が起きて、とんでもないことに。

どうしてこうなったw
まぁ、自分はこういう展開大好きだけどw

一体、何が起こって、どういう方向に話が展開していくのかーー
それは読んでのお楽しみw

ヤンデレって怖いよね(違う

ちなみに、後半の話は、同じ飲茶さんの著作の『哲学的な何か、あと科学とか』を読んでいると、飲茶さんが関心のある哲学的なテーマが分かっていいかも。

哲学的な何か、あと科学とか

哲学的な何か、あと科学とか

それと、このブログでも何回か紹介してるけど、『史上最強の哲学入門』シリーズの雰囲気を知っていると、より楽しめると思う。

史上最強の哲学入門 (河出文庫)

史上最強の哲学入門 (河出文庫)

プラトン主義 v.s. 反プラトン主義

さてさて、微妙にネタバレ?な気もするけど、この本の後半で大きな主題の1つとして扱われているのが、「プラトン主義」と「反プラトン主義」の対立。

ちょこっと引用。

つまるところ、哲学の歴史とは、モノの背後にある真の存在、「イデア」についての思索にすぎません。
目に見えるモノの世界から「それ以上の何か」を発見しようとする思索行為、これはようするにプラトン哲学です。
もちろん、「そんなものは人それぞれの作り事だ」という哲学もありますが、これはようするに、プラトン哲学への反論です。
どちらにしろ、中心にはプラトン哲学があるのです。
「世界には目に見えるモノ以上の何かがある」、これをプラトン主義と名付けましょうか。
そしてその逆、「目に見えるモノしかない」、これを反プラトン主義と名付けましょう。
プラトン主義と反プラトン主義、人類の歴史とは、この2つの主義を行き来する運動にすぎないと言っても過言ではありません。
(『てつがくフレンズ』より引用、句読点は自分が追加)

なるほど、ともいえる主張だけど、自分の立場を考えてみると、ある意味プラトン主義で、かつ同時に、ある意味反プラトン主義w
そんな相反する主張が同時に成立しうることがあるのか、と思われるかもしれないけど、この「目に見えないモノ」が二重性を為していて、それぞれの主張が同じ言葉で表裏の異なった別のものを指しているとなれば、それは成立したりする。

分かりやすいのは、「論理」。
はてさて、「論理」というのは、超越的に存在するものなのか、それとも人間の生み出したものに過ぎないのか・・・?

以下、自分の同人誌『哲学散歩道III 「身体性」へ還る』より引用。

そもそも、自分たちは論理を使って考察を進めているわけですが、その論理というのはどのようにして得られたものなのでしょうか?
考察を進めるために根源的に存在していないといけないということから、経験に先立って存在しているとも考えられるし、様々なことを経験することで「妥当な論理」が構築されるとも考えられるので、論理すら経験によって得られるものだと考えることも出来るでしょう。
では、どちらが正しいのかといえば、どちらも正しいのです。
そこには論理の二重性が存在します。

論理とはそもそも、真であるとされる命題から他の命題が真であるかを判断したり、あるいは真である他の命題を導いたりするためのものでした。
ところで、自分たちは「正しい論理」を使っていると思っているわけですが、その論理が正しいということはどうやって保証されるのでしょうか?
実のところ、どうやっても保証はされないのです。
今のところ、正しく論理を使っていれば正しい帰結が得られているというだけで、それが明日から突然変わってしまう可能性は否定できません。
しかし、その「否定できない」という事実が意味することは、経験に先立って世界を動かしている論理が存在しているということなのです。
すなわち、 経験に先立って存在する論理があるから世界は動き、その世界の動きを経験することで構築される論理があるのです。
そのように二重化されているからこそ、経験によって構築された後者の論理が経験に先立って存在する前者の論理とズレる可能性を否定できません。
ただし、この二つにズレがあっては後者の論理は論理と呼べるものではなくなってしまうので、それゆえこの二つは現状として等価なものとなっています。
経験に先立って存在する論理と経験によって構築される論理は、紙の裏と表のように、二重でありながら一体として存在しているのです。
(『哲学散歩道III』より引用)

つまり、「論理」を「経験に先立って存在する論理」と見れば、それはプラトン主義であり、「論理」を「経験によって構築される論理」と見れば、それは反プラトン主義となる。
そのどちらか一方しか見れないと、プラトン主義か反プラトン主義かという二者択一になってしまうけど、その二重性に気がつけば、そもそも同じ言葉で指しているものが違うのだから、両立しうる主張だということに気がつくことが出来たり。
これぞ、アウフヘーベンw

ちなみに、この二重性は身体性についても言えて、それについては別の記事で引用してたりするんで、よければどうぞ。


何はともあれ、可愛いキャラクターたちが結構な哲学的難問を「身をもって」示してくれているんで、面白いと思う。
オススメ。

今日はここまで!

てつがくフレンズ 女の子の姿になった哲学者たちの哲学学園

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哲学ガールズ

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哲学的な何か、あと科学とか

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史上最強の哲学入門 (河出文庫)

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