この前、文章を書くことについての記事を書いた:
その関連になるのだけど、過去のツイートをいろいろ漁ってると、そういえばこんなことをツイートしてたよなぁ、というのがいろいろ出てくる。
せっかくなので、そういったものをちょっと拾い上げていこうかな、と。
まずは般若心経についての一連のツイートから。
事の起こり
事の起こりは、このブログでも何度か書籍を紹介している飲茶さんとの絡み。
@yamcha789 好きでしたよ〜。前回の哲学彼女企画で、ゆうらが謎かけ出してましたけど、あれも出典はたしか仏教関係のはずです。(厳密な出典は覚えていませんが)
— やまいも@技術書典7【え23C】(3階Cホール) (@yappy0625) 2011年7月19日
仏教が好きだったことを伝えて、実際、「哲学的な彼女」企画で仏教に関連する話を書いたことを伝えたのが、このツイート。
ちなみに、上で言及している自分の書いた小説は以下で読めるので、ぜひ。
「ハゲ」から考える般若心経
そこから、般若心経の解説をするならどうしますかね、みたいな話になり、以下のようなツイートをした。
@yamcha789 般若心経の解説は、導入次第かと思います。いろんな観点から入っていけると思ので。例えばですが、「ハゲ」の話とかって、導入として便利かな、とか、ちょっと浮かびました。以下、適当にプロット。
— やまいも@技術書典7【え23C】(3階Cホール) (@yappy0625) 2011年7月20日
数学的帰納法の反例みたいに取り上げられるのが、「ハゲのパラドックス」。たくさん髪があれば、ハゲじゃない。ハゲじゃないところから一本抜けても、ハゲじゃない。帰納的に、ハゲは存在しない。これは、「ハゲ」を定義せずに議論を進めているのが原因。けど、よくよく考えると、「ハゲ」の定義って?
— やまいも@技術書典7【え23C】(3階Cホール) (@yappy0625) 2011年7月20日
よく考えると、「これがハゲだ」というようなものは、「ハゲそのもの」って、どこにも存在していない。(イデア論との関連がこんなところに。言語というのが「分化させるもの」というのと、色が心の働き(空)によるものという関連があるため)じゃあ、「ハゲ」を「ハゲ」にしているものは、何なのか?
— やまいも@技術書典7【え23C】(3階Cホール) (@yappy0625) 2011年7月20日
「ハゲ」を「ハゲ」にしているのは、何を隠そう、自分たち。実際にあるのは「髪の薄い人がいる」というだけなのに、そこに「ハゲ」というレッテルが貼られることで、「ハゲ」が生まれてくる。
— やまいも@技術書典7【え23C】(3階Cホール) (@yappy0625) 2011年7月20日
自分たちが「これはハゲ」と思うこの「心の働き」が、見えている「髪が薄い」という現象を「ハゲ」にしていて、「ハゲ」というものはそれなしには存在していない。「ハゲ」という「現れ」は、「心の働き」によって生まれてきている。(ここら辺、現象学との関連。「内側への現れ」へ向かうので。)
— やまいも@技術書典7【え23C】(3階Cホール) (@yappy0625) 2011年7月20日
よくよく考えて見たとき、見ているもの、聞いているもの、触れているもので、心の働きを通さずに知っているものがあるのか、という話。「現れてきているもの」=「色」というのは、すなわち、「心の働き」=「空」によるもの、あるいは、「心の働き」そのものといえる。(色即是空)
— やまいも@技術書典7【え23C】(3階Cホール) (@yappy0625) 2011年7月20日
逆にいえば、目に見えない「心の働き」っていうのは、そういった「現れてきているもの」によって知ることか出来る、あるいは、「現れてきているもの」そのものといえる。(空即是色)(これ、フッサールが、「自我」は把持(だったかな?)の連続、みたいに言っていたのに関連。うろ覚えて。。。)
— やまいも@技術書典7【え23C】(3階Cホール) (@yappy0625) 2011年7月20日
ほいで、視点をハゲの人に移して。ハゲであることに劣等を抱いていたりすることがあるわけですが、それにしたって「自分の心の働き」であるということ。多くの人は、自分が思っているほどに、他人を気にしてない、というのが真実。
— やまいも@技術書典7【え23C】(3階Cホール) (@yappy0625) 2011年7月20日
レッテルを勝手に自分たちで貼って、そのレッテルによって自分たちが苦しめられてしまっているということが、よくあるという話。ついでに、視点をハゲじゃない人に戻すと、ハゲというレッテルを貼ってしまうことで、あるがままに見るということが出来なくなってしまうことがある。
— やまいも@技術書典7【え23C】(3階Cホール) (@yappy0625) 2011年7月20日
レッテルを貼る、何かにとらわれる、そういったものが「心の働き」に過ぎないということに気づき、そこから自由になることで、色々な苦しみから解放されるんだよ、という感じ。
— やまいも@技術書典7【え23C】(3階Cホール) (@yappy0625) 2011年7月20日
で、書いてたけれど、「空」=「心の働き」っていうのは、普通の解説にはどこにも書いてないなぁ・・・何で見たのだったか、思い出せない。。。哲学彼女企画の小説の中で見たのか、読んでいる中でこう考えるとすっきりすると気がついたのか・・・
— やまいも@技術書典7【え23C】(3階Cホール) (@yappy0625) 2011年7月20日
具体的な話は書いてないけど、イデア論や現象学の話をちょっと絡めてるのが面白い。
さらに先へ
で、ここまでは「何かにとらわれるのをやめよう」という話なわけだけど、そのさらに先へ進むのが肝心だったりする。
プロット(?)続き。ここまでの話が、一段目の「分かった」になるのですが、ここで、「よし、レッテルとか貼らないようにしよう」「とらわれないようにしよう」と肩肘張ると、よくみると、それ自体がレッテルであったり、とられている状態になっていたりします。
— やまいも@技術書典7【え23C】(3階Cホール) (@yappy0625) 2011年7月20日
さらに、もっと本質的なところをつくと、生きている人間に本当に「レッテルをはらない」や「何事にもとらわれない」ということが可能なのか、という話が出てきます。「色即是空」なのであれば、なおさらです。
— やまいも@技術書典7【え23C】(3階Cホール) (@yappy0625) 2011年7月20日
じゃあ、どうしたらいいのか、となるわけですが、「諦めるしかない」というのが結局の所です。人は何らかしらの「レッテル」を通してでしか人を評価できないし、欲望を消すことも出来ないし、何事にもとらわれないということなんか出来ないのです。
— やまいも@技術書典7【え23C】(3階Cホール) (@yappy0625) 2011年7月20日
でも、その境地に至ったときに、その姿勢をよく見てみると、「そういうものなんだ」というあるがままの状態を、否定するでもなく、そのまま受け入れて、自分のものとして持っている姿になっています。これが、実は「とらわれていない」という状態になっています。
— やまいも@技術書典7【え23C】(3階Cホール) (@yappy0625) 2011年7月20日
結局のところ、巡り巡って、最初の状態なんですよね。けど、その何でもないというその状態が、変な表現ですが、まさに「何でもない」という状態なわけです。
— やまいも@技術書典7【え23C】(3階Cホール) (@yappy0625) 2011年7月20日
ここに至って、「あぁ、こういうことだったのか」という、もう一段上の「分かった」になります。けど、その「分かった」には、何の価値もないんですよね。だって、それは元々の姿なわけですから。「なんだかんだで、我が家が一番いいよね」と、ちょっとした旅をしてきただけです。
— やまいも@技術書典7【え23C】(3階Cホール) (@yappy0625) 2011年7月20日
そして、その文脈で「ぎゃーてーぎゃーてー」(分かった、分かった、仏の心、とかいう意味っぽい? サンスクリット語分からない・・・)に至ると、「何もしゃべらなかったお坊さん」と同じ様に解釈すれば、ここが梯子外しで、「今まで色々言ってきたけど、実はどーでもいいんだよねw」
— やまいも@技術書典7【え23C】(3階Cホール) (@yappy0625) 2011年7月20日
みたいな。
で、そんなんだったら、そこまでの話はそれとして覚えておいて、現実として自分はどうするのかなぁ、というところから、価値観の創造というか、に繋がっていきます。(その価値観として、身体性っていうのが無視できないんじゃないかな、というのが今の持論です)
— やまいも@技術書典7【え23C】(3階Cホール) (@yappy0625) 2011年7月20日
この「『とらわれない』ことにとらわれる」というのは、般若心経を知った中学時代に自分が実際に陥ってた状態。
そこからもう一段ブレイクが必要で、それが上の話。
そうすると、有名な「十牛図」もそうなんだけど、結局元に戻ってくるというのが面白いところ。
ちなみに、この話をした後に出版された飲茶さんの『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』の方が何倍も面白いし分かりやすいので、オススメw
史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち (河出文庫 や 33-2)
- 作者: 飲茶
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2016/10/05
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今日はここまで!