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いものやま。

雑多な知識の寄せ集め

言葉にするということ。

Twitterを見てたら、次のようなツイートが。

これを見て、昔書いた文章を思い出したので、紹介しようかな、と。
書いたのは2006年の5月27日とか。


『プリンセスワルツ』(※一応18禁)をやっていて。

ひいきにしてる、おなじみのPULLTOP最新作。
以前から楽しみにしていたのだけど金欠で買えず、やっとバイト代も入ったので、買って現在プレイ中。
いや、“月下の邂逅”がヤバ過ぎる・・・
曲そのものの素敵さもさることならが、劇中での使われ方が素敵過ぎて、思い出すだけで心がグッとなる。

さてさて、作品中に注目したい点は結構あったんだけど、作品全体を通しての一本槍の主張というのはあんまりない感じ。
ただ、CLAMPをはじめとする現代的な思想(※これは関係性を重視する思想を指している)の影響を色濃く受けているのが印象的。
こういった構造の分析なども体系的に述べていくことが出来たらいいのだけど・・・まぁ、大掛かりになるからねぇ。

まぁ、それは置いておいて。
今回取り上げたいのは、リーゼルルートでの、リーゼルとのどかの会話で気づいたこと。
ネタバレ注意。

のどか「りっちゃん、新のこと好き?」

理 子「えっ、ええええええっ!?
    ううんっ! じゃなくて、えっと・・・」

のどかの言葉を聞いて、理子の中で、なんとなく形にならまいままに大きくなっていた気持ちが、ぐんぐん形を成し始める。
言葉という形を与えられて、理子は自分の心の中にある感情を理解した。

理 子「好き・・・なのかもしれない。」

そう。
言葉になってみれば簡単なこと。
それなのに、いままで気づかなかったこと。

理 子「新くんのことが・・・好き。
    うん、そう・・・そうなんだ。
    私、新くんのことが・・・好きだったんだ。」

いつからかはわからない。
ただ、自分の中に占めるピカピカな少年への思いが、ビックリするくらい大きくなっていることはわかった。

以前自分が書いた(というか書きかけだ・・・)「『萌え』を取り戻せ。」と関係あるんだけど、曖昧なぼんやりとした感情が、言葉を与えられることによって一気に意味が収束して、同時にその言葉の持つ意味がその感情を指すものになるということが、「萌え」に限らず「好き」という言葉・感情でも起こりうるんだなぁ、(そして、実際に起きたりしているんだろうなぁ、)ということに気づかされて、驚いたというか。

巷で「萌え」が取り上げられ始めて感じた感覚が「萌え、って言っているけれど、ホントにこの人たちは『萌え』が分かって言っているのかなぁ?」「『萌え』を言葉で定義しようとしているけれど、そんなことは可能なのかなぁ?」というものだったんだけど、上のことを考えれば、これは自分がずっと感じていた「好きと嫌いとか言っているけれど、その人たちが感じているのは、ホントに『好き』っていう感情なのかなぁ?」とか、「自分が感じている感情は『好き』っていう感情になるのかなぁ?」という疑問が、深いところでつながっているんだなぁ、と気づかされる。

思うに、『好き』とはこういうものだ、『萌え』とはこういうものだ、と世間があまりにも感情の意味を規定しすぎている気がする。
好きなんだからこうあるべきだ、とか、こういったものが萌えなんだ、という、「感情」ではなく「対象」に対する規定が行われる、とか。
(ただ、今ちょっと思ったのは、「好き」っていうのは、同時に「好かれたい」と相手に対して見返りも求める感情である一方で、「萌え」っていうのは、見返りを求めるのではなく、相手(や対象)に「与えたい」と思う感情な気がする。なんか、規定を与えているので、言ってることが矛盾しているけれど・・・)

どうにも考えがうまく表現できないので、もうちょいじっくりと考察を練って、表現も練りたいのだけど、原感情とでもいえばいいのか、名前もついていない感情と、言葉と、そこで与えられる意味の関係を突き詰めていけば、ここらへんの問題をきれいに整理することが出来そうな気もする。
それはまぁそのうちにでも。

とりあえず、かっこいいなぁ、って思ったセリフを挙げておきたい。

新「お姫様っていうのは、生まれじゃなくて生き方だ。」

生き方。
でもなんというか。こういうのを見るとやっぱり男の方がロマンチックで夢見がちなんだなぁ、と思うねw


なんというか、若いw

今となっては、「好き」という感情については、もうちょっとドロドロした、『青い花』でのあきらのモノローグがしっくりきていたり。

ふみちゃんといると楽しいことばかりじゃなくなって、少し重たくなった。
重たかった場所は、離れた途端空洞になり、空洞だった場所は、たちまち嫉妬でいっぱいになった。
人を好きになることがこんなにみにくいことだと知らなかった。
これが恋を知ることだというなら、あの告白は呪いの言葉だ。
志村貴子青い花』より引用)

まぁ、それはともかく。
冒頭で引用したツイートのように、言葉にするというのは、すごいパワーを持っているんだよなぁ、ということ。

ブログを書くというのもある種似ているところがあって、書くためにいろいろ考えをまとめているうちに、曖昧だった考えがまとまっていったりすることがある。
そして、この記事がそうであるように、ふとしたきっかけで思い出したときに、それが形となって残っていて、見返したりできるというのは嬉しかったり。

ということで、もっと記事を書いていかないとね(^^;

今日はここまで!