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いものやま。

雑多な知識の寄せ集め

「神様」について考えてみた。

哲学

体調が悪いので、縮小更新。

昔書いた文章から。
書いたのは2004年の9月11日。
(書いたときのタイトルは、単に『神様。』)


神様についてちょっと考えた。

まぁ、以下に書くことは、何を今更、と思う人もいるだろうけど。

さて、こういった議論をするときに、定義というものが絶対的に必要になってくるわけだけれど、ちょっと置いておいて。

キリスト教の概念だと、

神様(創造神)は、自らに似せて人間を作った

というわけだけれど、ふと、

人間が、「自ら(=人間)を作った存在として」、自らに似せて作り出したのが「神様」なんじゃないかな

と思った。
そして、自ら(=人間)に似せた神様を作ることで、神様が自ら(=神)を似せて作った存在が人間である、と言わしめ、自ら(=人間)を他の動物とは違う、特別な存在として扱おうとしたのではないかと。
(似る、というのは、本来的には双方向的で、すなわち、一方が他方に似ている、というのであれば、同時に他方は一方に似ていることになる。これも、分析すると面白いところだけど。)

そういう意味での「神様」は、すなわち、人間が奉っているような神様というのは、人間を作ったもの、という役割を人間によって与えられた、人間による「作り物の神様」ではないのかと。

もしそうであるならば――そういう意味での神様であるならば、その神様が「存在しているのか」「存在していないのか」という議論については、「客観的に」「ただしその『実在性』(=認識者としての人間という存在が無くて存在しうるかどうか)を無視すれば」存在する、ということになるだろう。
もちろん、実在性を伴って存在する、と宗教心の強い人は主張する(この主張は主観的であるが)だろうし、そうでない人は、実在性はないが、象徴として――作られたものとしてならば、確かに存在している(これは客観的だといえる。作られたものとしてすら存在しないなら、「言葉」はそこに与えられない)、と言うだろう。

ただし、上における実在性――すなわち、人の定義した「人間をつくったもの」としての存在の実在、つまり、この世界の上位存在(映画『マトリックス』でいう、マトリックスの『外』の世界の存在、など)の有無、もしくはこの世界全体を司っているような物理法則の有無(つまり、人間が作られたのは物理法則で必然だったのかどうか)、あるいは人間を作り出すように偶然働いた「見えない力」の存在の有無、などは、もちろんあればそれが言葉の定義の上での「神様」になるのだろうけど(もちろん、その姿が人間に似ているのかどうかは定かでない。姿を持つかどうかすら分からないし)、それがあるのか、ないのかを、下位存在、もしくは観測者、もしくは結果のみしか知ることの出来ない存在の人間が知ることは出来ないので、そういった意味での神様がいるのかどうかについては、結論がでない、と。

まぁ、『キーリ』を読んでて、なぜか上のようなことが思いたった。
(ちなみに自分は、神様が本当にいるかどうかは別にどうでもよく、神様がいると信じること、それ自体がどう人に影響を及ぼすのかどうかの方が興味深いと思ってたり)


書いた自分で言うのもなんだけど、割と面白い発想だと思ってる。

ちょろっと触れてる「似る」ことに関する考察も、そういえばどこにも書いてなかったと思うので、そのうち書きたいかな。

今日はここまで!