いものやま。

雑多な知識の寄せ集め

トランプゲーム「Ushter」で遊んでみた。

iOSで遊べるトリックテイキングゲームを探していたら、「Ushter」(ウシュター?)というゲームを見つけた。

Ushter - A Trick Taking Card Game

Ushter - A Trick Taking Card Game

  • John Hall
  • ゲーム
  • 無料

無料で遊べるようだったので、試しに遊んだところ、けっこう面白かったので、紹介してみたい。

概要

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Ushterは、トリックテイキング(通称トリテ)というジャンルのゲーム。

ルールの詳細はあとで書くとして、トリテに詳しい人向けに、簡単な説明。

各自が最初に20ポイント持っていて、ポイントを一番最初になくした人がゲームの勝者。
各ディールで手札は5枚ずつ配られ、各自、そのディールに参加するか、降りるかを選択していく。
参加者が決まったら、切り札あり、マストフォローのトリテを行う。
1トリック取れば1ポイント減らせる。
ただし、1トリックも取れなかった場合、2ポイント増やされてしまう。
なので、ディールに参加するのか、それとも降りるのか、その選択が重要になるゲーム。


以下、ルール説明。

プレイ人数とカードの説明

まずはプレイ人数とカードの説明から。

このゲームは、4人〜8人で遊ぶことができる。
ただし、アプリの場合、無料だと5人限定。
課金すれば、4人〜8人でプレイできるみたい。

そして、カードは普通の52枚のトランプ1組。
カードには強さがあって、(強)A > K > Q > J > 10 > 9 > ... > 2(弱)という順番。

ゲームの目的と進行の概要

各プレイヤーは最初に20ポイント持っていて、このポイントを一番最初になくしきった人の勝ち。
誰かがポイントをなくすまで、複数ラウンド行なわれる。

各ラウンドでは、各プレイヤーに手札が5枚ずつ配られ、各プレイヤーは手札を見て、そのラウンドに参加するか、降りるかを選択する。
参加した場合、手札を1枚ずつ使い、5回勝負を行う。
1回勝つたびに、1ポイント減らすことが出来るが、そのラウンドで1回も勝つことが出来なかった場合、逆に2ポイント増えてしまう。

カードの配布

最初のラウンドは、ランダムにカードを配る人(ディーラー)を選ぶ。
次のラウンド以降、ディーラーは左隣のプレイヤーに移っていく。

ディーラーはカードをよくシャッフルし、各プレイヤーに手札が5枚ずつになるように配る。
配り終わったら、山札の一番上のカードを表向きにする。
その表向きにしたカードのマーク(スペード/ハート/ダイヤ/クラブ)と同じマークのカードが、そのラウンドの切り札になる。
切り札については後述。

参加決め

ディーラーの左隣のプレイヤーから時計回りに、そのラウンドに参加するか、降りるかを、順番に決めていく。
降りる場合、手札を裏向きのまま捨てる。

ただし、すでに2ラウンド連続で降りていた場合、降りることは出来ず、強制的に参加しなければならない。
(3ラウンド連続で降りることは出来ない)

ディーラーは、参加することを決めた場合、山札の一番上にあるカードを自分の手札に入れ、代わりに手札から1枚を裏向きで捨てる。

もし、参加するのが1人だけになってしまった場合、そのプレイヤーは自動的に5勝したことになり、5ポイント減らして次のラウンドに移る。

勝負

ラウンドに参加することを最初に決めたプレイヤーが、そのラウンドの最初の親になる。

各勝負では、親から時計回りで順番に、手札からカードを1枚ずつ表向きで出していく。
親は好きなカードを出すことが出来るが、それ以外のプレイヤーには縛りが発生して、必ず親の出したカードと同じマークのカードを出さなければならない。
出せない場合に限り、他のマークのカードを出すことが出来る。

参加している全員がカードを1枚ずつ出し終わったら、その勝負の勝者を決める。

まず、切り札を出しているプレイヤーがいた場合、その中で一番強いカードを出したプレイヤーがその勝負に勝つ。
もし、切り札を出しているプレイヤーがいなければ、親の出したカードのマークで一番強いカードを出したプレイヤーがその勝負に勝つ。

勝負に勝ったプレイヤーはポイントを1減らし、そして次の勝負の親になる。

これを手札がなくなるまで繰り返す。
(手札は5枚なので、5回勝負をすることになる)

もし、ラウンドに参加したのに1度も勝負に勝てなかった場合、そのプレイヤーはポイントを2増やす。

ラウンドの途中でも、誰かのポイントが0になったら、その時点でゲーム終了。
ポイントを0にしたプレイヤーがゲームの勝者となる。

ポイントをなくしきったプレイヤーがいなければ、ディーラーが左隣に移動して、次のラウンドを始める。


このゲームのポイントは、ラウンドに参加するか、それともしないのか、というところ。

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ラウンドに参加しなければポイントを減らしていくことは出来ないが、参加して1回も勝てなかった場合、逆にポイントは増えてしまう。
なので、出来るだけ勝てそうな手札のときだけ、ラウンドには参加したい。
とは言っても、連続で2回降りてしまったら、その次のラウンドはどんなに手札が悪くても絶対に参加しなければならないので、1回だけでも勝てそうなら、出来るだけ参加はしたい。
かといって、すでに自分より前のプレイヤーが何人か参加表明してたりすると、なかなか参加しづらかったり。
(人数が増えれば増えるほど、1回も勝てなくなる確率は高くなる)
逆に、自分がディーラーの右隣で、自分の前の全員が降りてしまった場合、ディーラーのポイントを無条件で5ポイント下げさせてしまうので、手札は微妙だけど参加せざるをえなかったり。
このあたりがなんとも悩ましい。

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アプリの出来もけっこう良くて、気持ちよくプレイできる。
特に、強さ設定で"Demo"を選んでゲームを開始すると、説明付きでプレイのデモが行なわれるので、それを見るだけでもルールはだいぶ分かるはず。

配られるカード枚数が少ないので、切り札があるかないかが大きく、手札運の強いゲームなんだけど、その中でも考え所はあるし、気軽に遊べるので、オススメ。

今日はここまで!

Ushter - A Trick Taking Card Game

Ushter - A Trick Taking Card Game

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権現堂までお花見ライドしてきた。

この前は都内の桜を見て回った。

今回は埼玉の桜の名所と名高い権現堂へ。

ルート

今回走ったのは、こんなルート:

江戸川CRをひたすら北上し、関宿橋から幸手市へ。
そして、県道26号〜県道371号と通って、権現堂へと向かうルート。

江戸川CR

江戸川CRは、埼玉側を走ろうと思ってたんだけど、野田橋のところから埼玉側は入っていくことが出来ないのをウッカリ。
なので、千葉側をずっと走っていった。

ただ、結果的にはこれが大正解だったっぽい。
とにかく菜の花が満開で凄かった!

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この前は自転車を入れて写真を撮らなかったので、今回は自転車も入れて写真を撮ったりw

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うん、いい感じw

追い風だったこともあり、スイスイと走れてすごく気持ちよかったw

権現堂

関宿橋からは下へ降りて権現堂を目指した。

広域農道を進んでいくと、途中からすごい渋滞が。
どうやら、駐車場待ちの車らしい・・・
全然進みそうになかったので、ちょいと横道にズレて進んだ。
こういうのは自転車のいいところw

そして、権現堂へ到着。

いや〜、これは凄い!
天気も良くて、最高のお花見日和!

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ちなみに、屋台とかもあったんだけど、人が多すぎてちょっと無理だったw
う〜ん、残念w

江戸川CR

満開の桜を満喫した後は、帰路へ。

帰りも江戸川CRで、埼玉側を走っていったんだけど、向かい風の凄いのなんのって。
行きに楽した分、帰りがこうなるのは分かってたんだけどね(^^;

ヒーコラ言いながらペダルを回し、ちょいちょい休みを入れながら進むことに。

この頃になってくると日も暮れてきて、風がだいぶ冷たかった。
おかげで、体がすっかり冷え切ってしまって、大変だった。
帰ってきてから体温測ってみたら、たぶんエラーなんだけど、34.0度・・・
体の表面、冷えすぎ・・・

そんなわけで、距離こそ60kmくらいだったんだけど、ぐったり疲れ果ててしまった。
(そして、鼻と喉が死んだ・・・)

う〜ん、もうちょい鍛えないとなぁ、ホントに。

今日はここまで!

『リシュルート』の昔話をしてみた。

『リシュルート』というのは、慶應の履修情報誌。
塾生総合研究所」(通称、塾総)という物々しい名前のサークルが毎年春に発行している冊子で、アンケートを元にした履修情報の他に、新入生のための情報や、インタビューなんかも載っていたりする。
慶應生以外にはほとんど知られていないだろうけど、塾生や若い塾員なら、知らない人はいないだろうというくらい有名(なはず)。

そんな『リシュルート』だけど、ふと思い立ってネットを調べてみたら、昔の情報が全然ないことに気がついた。
これはちょっと寂しいなと思ったので、少し昔の話をしてみたいと思う。

リシュルート2002

『リシュルート』が一番最初に発行されたのは、2002年。

そのときの表紙が、こちら。

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これはw
下ネタ(したねたと読む)で、「リシュルートのロゴをリクルートのものそっくりにしたところ、リクルート社法務部からクレームが来た」というのが毎年書かれているけど、これは確かにクレームが来るわwww

ちなみに、「塾生総合研究所」というサークル名も、「野村総合研究所」のパクリリスペクトだったりする。
英語表記が"Jukusei Research Institute"なのも、"Nomura Research Institute"をマネたもの。

中身はというと、こんな感じ。

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なんともアングラなw

なお、この当時はまだ「塾生総合研究所」というサークルではなく、「Reshruitプロジェクトチーム」という有志の集まりで、人数もほとんどいなかったらしい。
そして、慶應マッキントッシュユーザーズグループ(Keio Macintosh User's Group, KMUG(けーまぐ))の力を借りて、完成まで漕ぎつけたらしい。
(もっとも、KMUGはその後、塾生総合研究所に取り込まれていってしまうのだけど・・・)

ちなみに、このあたりが伝聞調なのは、自分はまだいなかったから。
当時の様子は、冊子内に書かれていたりする。

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ここにも少し書かれているのだけど、元々慶應には『CARE』という履修情報誌があったらしい。
発行はジャーナリズム研究会。
ただ、この冊子は「楽勝追求」しかせず、毎年教授会で問題になっていたらしい。
そして、アンケートも古い内容が使い回されていたらしく、かなりあてにならないものだったと自分は聞いている。

そんな『CARE』が、2001年の春に発行されなかったという事件が起こったらしい。
さらには、復活する様子もないということなので立ち上がったのが、このプロジェクト。

このように、慶應は一度履修情報誌が潰れていたりする。
最近の塾生はそんなこと知らないだろうから、『リシュルート』があるのは当たり前のことのように受け取っているだろうけど、それは実は当たり前ではなかったりする。

そして、そんな歴史があったので、『リシュルート』では『CARE』の二の轍を踏まないようにしてきたという歴史があったりする。
(おそらく最近の塾総メンバは知らないだろうけど・・・)

リシュルート2003

さて、そんな感じにスタートした『リシュルート』。
2年目となる2003年の表紙は、こちら。

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ロゴが変わってるw
まぁ、クレームを入れられたなら、仕方ないw

そして、表紙よりも注目したいのが、中身。

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見ての通り、アングラ色は消え、スッキリとキレイなデザインへ。
これは、当時デザインを行なったHさんの力が大きい。
Hさんのデザイン力は、このあとも塾総を支えてくれることになる。

それと、「発刊にあたって」には、プロジェクト立ち上げ人であり当時の編集長だった伏見さんの考えが書かれている。
『CARE』は楽勝追求一本だったけど、『リシュルート』はそうではなく、塾生と教員のよりよいマッチングを目指した冊子である、と。

このあたりは、実は授業情報の書き方にも表れていて、「難簡度」というのは、ぶっちゃけて言ってしまえば「楽勝度」なんだけど、その書き方は塾生に楽勝を推奨しているように捉えられてしまう恐れがあるので、このような言葉を造って表現するようにしたらしい。
このあたりの表現には、かなり苦労をしたみたい。

自分が入学したのは、この年。
Macが好きだったのでKMUGの部室に行ったのだけど、そしたらなんか塾総に入ってたw

リシュルート2004

3年目となる『リシュルート2004』の表紙は、こんな感じ。

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ミス慶應が表紙になるのが定番となったのは、ここから。

『リシュルート2004』で重要なのは、「リシュルート発刊宣言」。

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これは、当時の編集長だったTさんが、『リシュルート』は『CARE』とは違うんだぞ、ということを示すために書いたもの。
何度か改訂が入っているようだけど、今でも『リシュルート』に載っている。

『リシュルート2004』は自分が初めて製作に関わった『リシュルート』。
頑張ってアンケートを撒いて回収したり、集計したり、データを打ち込んだり。
あるいは、いくつか広告のデザインをやったりなんかもした。
なんとも懐かしいw

ちなみに、『CARE』ではアンケートの使い回しが行われて、情報が古くなっていたりしたことが多かったようなので、『リシュルート』ではアンケートの使い回しを一切行なっていない。
なので、毎年アンケートを取るのがホントに大変だった。
他のサークルにも協力を呼びかけ、サークルの広告を『リシュルート』に載せるかわりに、アンケートの回収に協力してもらったりもしている。

リシュルート2005

『リシュルート2005』の表紙は、こんな感じ。

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2004年と同じく、表紙はミス慶應

この年、大きく変わったのは、履修情報だけではなく、新入生向けの情報なんかも載せるようにしたこと。

実は、2004年までは、履修情報誌の『リシュルート』の他に、フリーペーパーで『LISH』(リシュ)という冊子を作って配布していた。
この『LISH』というのは、表向きは「スタイリッシュ」からの命名だけど、実際には『リシュルート』の知名度を上げたくて似た名前の冊子を作ったとのこと。
ただ、この頃になると『リシュルート』の知名度も上がってきて、逆に紛らわしいと苦情が来るようになってきたり・・・
そこで、『LISH』は廃刊にして、『LISH』に載せていたような情報や記事も『リシュルート』に載せてしまおう、ということになった。
(ちなみに、『塾生旬報』という別のフリーペーパーを出すことになる)

このようにして、2005年で今の『リシュルート』とほぼ同じ形が整ったことになる。

ちなみに、その記事の1つでは、教員に『リシュルート』をどう思っているか、というインタビューを試みていたりもする。

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このあたりからも、『リシュルート』が単なる楽勝を目指す冊子ではなく、塾生と教員を繋ぐ冊子であり、そのために何をしなければいけないかということを模索している様子がうかがえる。

リシュルート2017

ここからちょっと時間を飛ばして、『リシュルート2017』へ。

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ありがたいことに、卒業してからも毎年ちゃんと送ってきてくれているので、今もこうして見ることが出来ていたりする。
今年の『リシュルート2018』はまだ届いていないので、これが手元にある最新。

「リシュルート発刊宣言」は、このとおり、今もちゃんと載っている。

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そして、授業情報は、さらに充実したものに。

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他、新入生向けの情報もたっぷり書かれていて、ボリュームたっぷり。

厚さ比べ

実際、厚さを比べてみると、以下のような感じ。

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2002、2003は中綴じで、だいぶ薄い。
そこから2004で無線綴じになって背表紙が出来るようになり、2005では新入生向けの情報も追加したことで、その厚みもぐっと増している。
(ちなみに、2004の背表紙に何も書かれていないのは、デザインし忘れたからw)
そして、2017ではさらに厚みが増えていることが分かると思う。

登録されている講義数は、2002年で250科目、2003年で350科目、2004年で500科目以上となり、今も500科目以上の情報が載っている。


ちなみに、ツイッターとかを見ていると、『リシュルート』の情報はあてにならない、と書かれていることも。
慶應生なら、そんな頭の悪いことを書かないで欲しいのだけど・・・

一つ、分かって欲しいのは、もし仮に『リシュルート』の情報があてにならないのだとしたら、『リシュルート』をそうしてしまっているのは、自分たち自身だということ。

『リシュルート』は、これまでにも書いた通り、『CARE』の反省を踏まえて、アンケート至上主義で作られている。
ちゃんと教室にまで行ってアンケートを撒き、実際に授業を受けている人のアンケートを回収し、それを集計しているのは、アンケート至上主義だから。
ネットとかで口コミを集めたらもっと楽かもしれないけど、それだと実際に授業を受けていない人だって回答できてしまう。
それじゃあダメだからこそ、大変なのを分かっていて、こうして足で情報を集めているわけで。

高校までは、待っていれば親や教師が情報を運んで来てくれたかもしれないけど、大学に入ったのなら、そんなのはダメ。
自分たちで自律して情報を受け取り、正し、そして発信していかないと。

もし、『リシュルート』の情報と実際に授業を受けてみての感想が違うのなら、情報を正すためにアンケートに記入し、後輩や教員に情報を伝えていく。
『リシュルート』の情報が正しく、満足な授業が受けられたのなら、正しい情報を伝えてくれた先輩に報いるためにもアンケートに記入し、後輩や教員に情報を伝えていく。
そうやって情報を組織化していけば、義塾全体、さらには社会全体を、よりよいものにしていけるし、その恩恵は自分にも巡ってくることになる。

それが、何事も他人任せ、権利は求めるけど義務は果たさない、という態度で、アンケートにも非協力であれば、情報は腐るし、『リシュルート』の質もどんどん落ちていってしまう。
最終的に、自分の首を自分で締めることになる。

福澤先生は「独立自尊」を唱えたわけだけど、それってつまり、こういうこと。
責任を他人のものとせず、自分のものとして、自分が何をしないといけないのかをちゃんと考えていかないとね。

今日はここまで!

お花見ライドに行ってみた。

暖かくなってきて、桜もいい感じだったので、お花見ライドに行ってみた。

ルート

今回走ったルートは、以下のような感じ:

一昨年のお花見ライドと同様、上野と千鳥ヶ淵を巡るんだけど、そこからちょっと足を伸ばしてお台場から葛西臨海公園まで行き、そこから江戸川土手のサイクリングロードを走るというルート。

一昨年の様子は以下から:

上野

ということで、まずは上野から。

一昨年はだいぶ散っちゃってたんだけど、今回はかなりいい感じだった。
ソフトクリームも食べれたしw
(まぁ、桜ソフトじゃなくて、イチゴとバニラのミックスだけどw)

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お昼

上野を出た後は、Y's Roadのウェア館にちょっと寄ったりした後、秋葉原を通過して靖国通りへ。
そして、ちょっと遅めの昼食。

何を食べようか迷ったんだけど、ちょっとがっつり食べたいなと思ったので、神保町の「カロリー」へ。

http://kitchen-calorie.com

ここはレトロな感じの洋食屋で、名前の通り、ボリュームたっぷりの料理が出てくる。

自分が食べたのは、ジャンボ鉄板焼き。

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カロリー焼き(牛肉、玉ねぎをニンニク醤油で炒めたものがパスタの上に乗ってる)に、ハンバーグ、カニクリームコロッケがついたもので、ライスもついて890円。
ニンニク醤油がかなりいい感じで、美味しかった。

千鳥ヶ淵

たっぷり食べて満足したので、再び靖国通りに戻って、西へと向かう。
目指すは千鳥ヶ淵

千鳥ヶ淵の桜もほぼ満開で、すごくいい感じだった。
ボードの数の凄いこと凄いことw
人も溢れかえってた。

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関係ないけど、カードキャプターさくらとのコラボ(スタンプラリー)もやるっぽい。

千代田のさくらまつりコラボ -カードキャプターさくら公式サイト-

3/26(月)からということで、ちょっと興味ある・・・

お台場〜葛西臨海公園

今回はここから銀座へ抜けて、そのままお台場まで行ってみた。

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途中、左折する車が結構多くて、なかなか大変だった。
もうちょい安心して走れるといいんだけどねぇ。

そして、お台場からは湾岸道路を使って葛西臨海公園へ。

途中、葛西臨海公園に入って行くルートが分からなくて、かなり迷った(^^;
道を横断するのが難しい・・・
次走るときは、もうちょっとちゃんと調べてから行かないとなぁ。

帰路へ

そんなこんなで、やっとこ葛西臨海公園にたどり着いたんだけど、だいぶ夕方になっていたので、園内は全然見ずに帰路へ。

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千葉ネズミーリゾート・・・

江戸川サイクリングロードはもう走り慣れた道なので、なんの不安もないのだけど、久々に自転車に乗ったので、けっこう大変だった。
風も冷たくなってきてたし。

とにかく腰とお尻が痛くて大変だった。
お尻はやはり乗ってないと弱くなるね・・・
鍛えねば。

そんなこんなで、休みを挟みつつ、北上。

途中、柴又の寅さん記念館のところでも休憩をしたんだけど、ここの桜もけっこういい感じで咲いてた。

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そして、埼玉に戻ってきた頃にはだいぶ暗くなってしまってた。
もうちょい早ければ、三郷あたりで菜の花がきれいに見れたと思うんだけどなぁ。
少し残念。

何はともあれ、無事帰宅。
距離は80km強。
ただ、久々に走ったので、だいぶ疲れた(^^;
これから暖かくなってくるし、またいろいろ走りに行きたいな。

今日はここまで!

『劇場版 カードキャプターさくら 封印されたカード』を考察してみた。

1/26(金)で『劇場版 カードキャプターさくら 封印されたカード』のリバイバル上映が終了した。

ちなみに、シネ・リーブル池袋で最後の上映回を見てきたんだけど、この回は満席・売切れになってた。

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ホントに愛されてる作品なんだなぁ、と。

結局、5回しか見にいくことが出来なかったんだけど、十分堪能できたのでよかった。
そのついでで、この作品に対する自分の考察をちょっと語ってみたいと思う。

※以下、ネタバレを含むので、注意。
まぁ、20年前の作品だから、今更ネタバレもないんだけど(^^;

前回見に行ったときの感想は、以下から:

あらすじ

一応、あらすじも。

小狼が香港に帰ってしまって、さくらも小学6年生になっていた。
そんな夏休みの日、友枝町全体で開かれる「なでしこ祭」を前にして、小狼と苺鈴が友枝町にやってくる。
さくらは小狼に「好きだ」と言ってもらえた返事をしようとするが、なかなか上手くいかない。

そんな中、街の中で郵便ポストや橋が消えるという事件が起き、さくらカードも次々と消えていってしまう。
それは、エリオルの屋敷の下に封印されていたカード、「無」によるものだった。
「無」もさくらカードにすれば事件は解決するが、そのためには「一番大事な想い」を失わなければならないという・・・

解決策を見いだせないまま、「なでしこ祭」ではさくら達のクラスによる劇『悲しい恋』が演じられていた。
そこに「無」のカードの襲撃が。
大切な人たちが次々と消されていく。
クラスの友達や家族に始まり、知世、苺鈴、そして、ケロちゃんにユエまで・・・

封印を決意するさくらは、「無」との最終決戦に臨む。
しかし、そこにいた「無」は、ただ「友達」を取り戻したいだけという、いたいけな少女でしかなかった。
そんなさくらと「無」との間を、さくらカードたちが繋ぐ。
さくらカードたちも、「無」と「友達」になりたかったのだ。

いよいよ「無」のカードを封印し、「一番大事な想い」を失ってしまうというそのとき、小狼が現れる。
「無」のカードは、さくらではなく小狼を選んだ。
小狼の方が、残っていた魔力が多かったからだ。
「一番大事な想い」を失う小狼・・・
そして、「無」のカードは封印され、さくらカードに。
しかし、さくらの手に収まったのは「無」のカードではなく、さくらの「名前のないカード」と組み合わさった「希望」のカードだった。

「一番大事な想い」を失ってしまった小狼
そんな小狼を前に、さくらは自分の想いを伝える。

小狼くんが私のこと、何とも思ってなくてもいい。
 私は小狼くんが好き。
 私の一番は、小狼くんだよ?」

が、その想いは小狼には届かない・・・
かと思われた。
しかし、小狼はさくらに答える。

「俺もだ・・・さくら」

想いは届いたのだ。

***

さて、最後の部分、ホントに「さくらちゃん、よかったね・・・」となるんだけど、よくよく考えると、かなりご都合主義に感じる部分も。
「そのとき、不思議なことが起こった」(by 仮面ライダーブラックRX)くらいの荒技で、ハッピーエンドにしているので。
まぁ、そんなご都合主義とか、もうどうでもよくなるくらいに感動的なので、映画見てるとあまり気にならないんだけどね。
ただ、ある程度は筋の通った解釈を示すことが出来ると思っているので、これについてはあとで。

劇中劇の妙

何はともあれ、この作品を語る上でまず語っておかないといけないのが、コレ。
劇中劇の妙。
これがホントに素晴らしすぎる。

この作品でキーとなっているジレンマは、

  • 「無」のカードをさくらカードにしなければ、みんなが消えてしまう
  • しかし、そうすると、「一番大事な想い」が消えてしまう

というもの。
簡単に言えば、「世界」をとるか、「個人」をとるか、という二択。

さくらちゃんはいい子なので、「世界なんてどうでもいい」とはならないし、かといって、「小狼への想いを失ってもいい」ともならないので、その間で苦悶することになる。

そして、劇はどんな内容なのかと言えば、「魔法の石」という強大な力を持った石をめぐって争う二つの国の、王子と姫の物語で、本番で王子を演じるのが小狼、姫を演じるのがさくらという配役。
二人は仮面舞踏会でお互いの正体を知らずに出会い、互いに好き合うが、その正体を知ることで、その恋が禁じられた恋であったことに気がつく。
王子は自分の想いを姫に伝えるが、姫はその想いには答えることが出来ないと言い、やがて、王子は姫を守って死んでしまう。
そして、姫は後悔するのだった。
「こうなるのなら、自分の想いを伝えていればよかった」と。

まるで、この作品(封印されたカード)のアナザーエンドを描いでいるかのような劇で、ここでも

  • 自国の民のためには、魔法の石を手に入れなければならない
  • しかし、そのためには、自分の想いは捨てなければならない

という、「公」をとるか、「私」をとるかという、似た構造が描かれている。

そして、それを小狼とさくらに演じさせるという、ね。

さくらが台本を読みながら

さくら
「・・・まるで心が自分のものではないかのようです。
 あの人を好きになってはいけないのに、私は私の心を止めることが出来ない。
 あの人の優しい笑顔が忘れられない。
 あの人に会いたい。
 会って、私の本当の想いを告げてしまいたい・・・」

(『劇場版 カードキャプターさくら 封印されたカード』より)

さくらが劇の練習で

さくら
「・・・なぜこんなことに。
 私を守るために死んでしまうなんて。
 あなたがいなければ、私に幸せなどないというのに。
 あなたに私のこの想いを伝えればよかった・・・
 本当の想いを・・・」

(『劇場版 カードキャプターさくら 封印されたカード』より)

劇本番で

さくら
「あなたが、我が国と争っている、隣の国の王子だったなんて・・・」

小狼
「姫、どうか泣かないで・・・
 誰よりも笑顔が似合うあなたを、悲しませてしまう私を許してください。
 けれど、この気持ちを止めることは出来ない」

小狼
「私は・・・
 私は、あなたが好きです」

さくら
「っ!」

さくら
「私は・・・
 私は、あなたの気持ちに答えることは出来ません」

小狼
「私を、お嫌いですか?」

さくら
「違いますっ!
 違い・・ます・・・」

二人
(・・・)

さくら
「私は・・・私は・・・
 いいえ、言えません。
 私のこの想いは、あなたにもーーいえ、あなたには」

さくら
「どうか、お願い。
 私のことなど、忘れてしまってください。
 心から、なくしてしまってください・・・」

(『劇場版 カードキャプターさくら 封印されたカード』より)

もうホントね、何なの、これ。
毎回、涙腺が崩壊する。

さくらは小狼のことが好きだし、好きだということをすごく伝えたいと思ってる。
そのさくらをして、「あなたの気持ちに答えることは出来ない」「私の想いを伝えることは出来ない」、さらには、「私のことなど忘れてしまってください」などと言わせるとか、ホントに・・・

劇中劇を使うことで、作品の構造を作品内に表せしめ、そして、さくらに本心とは真逆のことを言わさせるとか、なんて見事な手法なんだと言わざるを得ない。
こんな巧みな作品は、そうそうないと思う。

さらに、その劇中劇を悲劇で終わらせることで、この作品も悲劇で終わってしまうんじゃないかという不安を観客に引き起こさせる。
同時に、さくらの不安も引き起こし、葛藤を強調させる。
だって、想いを伝えられない苦しみを、さくら自身が、劇で自分で体験するのだから。

もうホント、この劇中劇、どんだけ仕事してるんだと。
素晴らしすぎて、脱帽の一言。

おまけで書いておくと、冒頭のバトルも作品の導入としてよく出来てるなぁ、と思う。
まぁ、こちらは作品に一気にのめり込ませるために、冒頭にひと盛り上がり用意するという、よくある手法なわけだけど。
ガルパン劇場版の冒頭のエキシビションマッチや、ユーフォニアム劇場版2作目の冒頭のプロヴァンスの風とかは、まさにこれ。

小狼の決心

ところで、この作品を見たときに気になってたのが、さくらに「無」のカードのことを相談されたときの、小狼の態度。

小狼は、「そうしなければ、街や人がなくなってしまうのなら、仕方ない」とさくらに答えるわけだけど、それはあまりに冷たすぎないかな、と。
まださくらから返事はもらえてないとはいえ、さくらの気持ちはある程度知っているわけで、そんなさくらに対して、「仕方ない」と言うのは、さすがにどうなのかと。
確かに仕方ない部分はあるけど、だからといって、そんな簡単に、好きになった相手の気持ちがなくなってしまったっていいと言えるものなのかと。

当然、これにはさくらもショックを受け、雨の中、傘もささずに駆け出していってしまうわけで。
この小狼の態度は、あまりに酷い。

ただ、今回リバイバル上映を観ている中で、実はそうじゃないんじゃないかと気がついた。

最後、さくらが「無」のカードを封印するとき、そこに現れた小狼は、こう言った:

「間に合ってよかった。
 俺の魔力の方が、まだ残っていたみたいだな」

間に合ってよかった、ということは、最初から小狼は封印の場に居合わせようと考えていたことになる。
つまり、さくらのかわりに自身の「一番大事な想い」を失うことを、小狼は考えていたわけだ。
では、いつから・・・?
最後の決戦の途中で思いついたという可能性も考えられる。
というか、最初はそうだと自分は思ってた。
けど、よくよく考えてみると、違うことに気がつく。

決戦前、さくらが「早くさくらカードに変えて、みんなを取り戻さなきゃ」と言ったとき、小狼は間髪入れずに「俺も行く」と言っている。
さらに、知世がさくらにコスチュームを渡したあと、知世は小狼に近づいて、ささやくようにこう言っている:

「一人だけ帰ってこないなんて、いけませんわ」

この言葉に、小狼は目を見開いている。

つまり、小狼はこの時点で、さくらの代わりに自身の「一番大事な想い」を失うつもりで、決戦に臨んでいたと考えられる。
そして、そんな自己犠牲にしようとしていた小狼に知世は気づき、さくらには聞こえないように、この言葉を小狼に贈ったと考えられる。

さらに考えを進めると、じゃあ、小狼は実はもっと前から自己を犠牲にすることを考えていたんじゃないか、というところに行きつく。
それこそ、さくらから相談を受けた、その瞬間から・・・

実のところ、さくらが小狼に相談しているシーンを見返してみると、実はさくらは「誰の」一番大事な想いが失われるのかということは、小狼には話していない。
(さくらはエリオルから「一番魔力が残っていた人」の想いが失われると聞いてる)
なので、ここで小狼が自己犠牲を決心するには、情報が足りていなかったりする。

けど、おそらく小狼は、なんとなく気がついていたんじゃないかな、と。
というのも、小狼が「仕方ない」とさくらに告げるまでには若干の時間があり(このときのバスが通過する音が、妙に生々しい・・・)、さくらに「仕方ない」と告げたときも、悲痛に歪んだ顔というわけではなく、遠くを見つめるような、決意のこもった眼差しになっているから。
この短い間に小狼は考えを巡らせ、そして、さくらではなく、自分の想いを犠牲にする決心を行ったんじゃないのかな、と。

そう考えると、この小狼の態度も、「さくら」より「みんな」をとったという冷たいものというわけではなく、「自身」より「さくら」と「みんな」をとったという、さくらへの想いに溢れたものだったんだろうなぁ、と。

もちろん、そのような自己犠牲がいいかどうかは、別として。
劇中劇の最後でも「あなたがいなければ、私に幸せなどないというのに」というセリフが紡がれているし、知世も「一人だけ帰ってこないなんていけない」と告げている。
実際、さくらを悲しませてしまったわけだし。
この辺りは難しいところ。

さくらの選択

あと、ちょっと触れておきたいのが、さくらの選択について。

前述した通り、この作品でのジレンマは、「世界」をとるか、「個人」をとるか、というもの。
これに対して、さくらの出した回答は、なんだったのか。

結果だけ見れば、「世界」も「個人」もとれてるので、いずれの選択もしなかった(あるいは、どちらも選択した)かのようにも見える。
ただ、それはある種の「奇跡」が起こったからで、実際にはその「奇跡」を起こすに至った第三の選択を、さくらはしているんじゃないかな、と。
それは、アウフヘーベンに至るジンテーゼと呼ぶには、ちょっと弱いものだけど。

その選択というのは、「『無』のカードと『なかよし』になるために、『無』のカードを封印する」という選択。

最終決戦の前、さくらは「みんなを取り戻す」ために、「無」のカードを封印すると言っている。
つまり、この時点では、「個人」よりも「世界」をとるという選択を行なっている。
これは、街の惨状や、大切な人たちがいなくなってしまった現実に触れ、もはや「個人」をとるなんて言ってられない状況になってしまったから。
「無」のカードと対峙したときも、その想いが強く吐き出されている。

けど、これが「無」と話す中で、全く氷解してしまう。
さくらの頭の中からは消えてしまっている。
というのも、「無」のカードは、ただ「友達」であるはずのカードたちと一緒に居たかっただけだということが分かったから。

そして、カードたちの導きもあり、さくらはこの「無」のカードと「なかよし」になりたいと願うようになったんだと思う。
そのために、「無」のカードを封印する、と。

これらの選択は、いずれも「無」のカードを封印するということに違いはないのだけど、「無」のカードに対する態度が180度変わってしまっていることに気づいて欲しい。
最初は、「無」のカードはみんなや街を消してしまう「敵」で、封印することで「敵」を倒し、そしてみんなを取り戻す、という構図だった。
それが、「無」のカードと話すことで、「無」のカードは「敵」ではなくなってしまっている。
一緒に居たいと願う、「友達」の一人に変わっている。
この心の変化が、最後の奇跡へと繋がっていったんじゃないかな、と。

これは、「最後の審判」でのユエとさくらの会話を思い出させる。

ユエ
「・・・なにが『審判者』だ。
 結局、最初から次のクロウカードの持ち主は決まってたんじゃないか」

(中略)

さくら
「ユエさん・・・
 きっと、すっごくクロウさんのこと、好きだったんだね」

さくら
「わたしなんかまだまだ子どもだし、魔力もぜんぜんだし・・・
 寝坊ばっかだし、算数も嫌いだし、なんにもできないけど・・・
 カードのこともケロちゃんのことも大好き。
 きっとユエさんのことも好きになれる。
 ううん、もう好きだよ!」

さくら
「『主』とかじゃなくて、『仲よし』になってほしいな」

ユエ
「・・・目を閉じろ。
 審判終了。
 我『審判者・ユエ』、さくらを新しい主と認む」

(『カードキャプターさくら』より引用 ※月はユエと表記)

「なかよしになりたい」というさくらの想いが、ユエの心を溶かしたように、この劇場版においても、「なかよしになりたい」というさくらの想いが、最後の奇跡に繋がったんじゃないかな、と。

なぜ小狼は大丈夫だったのか

では、なぜ小狼は大丈夫だったのか。
それについて、考察していってみたい。

なぜ「一番大事な想い」が失われないといけなかったのか

そもそもの話として、なぜ「無」のカードを封印するのに、「一番大事な想い」が失われないといけなかったのか。
ストーリーの都合上、と言ってしまえばそれまでだけど、それだけじゃないと自分は思ってる。
まずはそこから話していきたいと思う。

ここで一つ、明確にさせておきたいこと。
それは、「一番大事な想い」が失われないといけなかったのは、「無」のカードを封印するからじゃなくて、「無」のカードをさくらカードにするからだということ。
封印するのとさくらカードにするのは、ほぼ同時なので、この2つを区別することに、何の意味があるんだろうと思うかもしれない。
けど、この区別がけっこう重要だったりする。

思い出して欲しいんだけど、クロウカードをさくらカードに変換するとき、さくらは必ず変換したカードを即座に使用してきた
それがまるで、クロウカードをさくらカードに変換するための条件であるかのように。

エリオルによれば、クロウカードをさくらカードに変換するのは、かなり危険らしい。
そのために、(事件を起こしたりして)さくらカードを使わざるを得ない状況にさくらを追い込み、そして、さくらカードに変換させてきた、と。
なので、おそらく、「さくらカードを使わなきゃ」という強い意志がさくらカードの変換には必要で、当然、その意志は嘘偽りのものでは「足りない」ので、変換後にその意志の実行(つまり変換されたさくらカードの使用)が、必然的に必要だったんだろうなぁ、と。

もちろん、ただ使えばいいというだけなら、なんか適当なものを消せばいいだけなので、何も「一番大事な想い」でなくたっていいだろうとは思うんだけど。
まぁ、「無」のカードは強大な魔力を持ってるから、その変換にはさらに強大な魔力が必要で、その強大な魔力を以って実現する必要のあることとなると、「一番大事な想い」をなくすとかになってしまう、とかなんだろうなぁ、と。

ちなみに、想いを失うーー忘れてしまうということ自体は、必ずしも悪いこととは限らない。
後述する話とも関係してくるんだけど、「忘れることが出来る」ことの凄さを、そういえばCLAMPは書いてたなと思い出したので、引用:

店長
「パソコンだから出来ることと、パソコンだから出来ないことがあります。
 それは、人間だから出来ることと出来ないことがあるのと同じです。
 いや、パソコンであることのほうが悲しいこともありますよ」

(中略)

店長
「僕らは少しずつ時間の力を借りて昔の痛みを乗り越えていけるけど、
 パソコンは持ち主が消してやらなければ、どんなに辛いこともずっと覚えています」

(『ちょびっツ』より引用)

閑話休題

ということで、さくらカードへの変換にはさくらカードの使用が必須なんだと考えると、「一番大事な想い」を失うという効果は、実際に発現していたんだろうなぁ、と。
そういう意味で、「名前のないカード」と一緒になって「希望」のカードに変わることで、「一番大事な想い」を失うという効果はキャンセルされたんだ、という説は、ちょっと説得力が弱いかなと思う。
それに、それだとまさに「そのとき、不思議なことが起こった」レベルで、ただ奇跡が起こっただけ(=さくらと小狼の運がただよかっただけ)という話になってしまうので。

ツイッターで見かけた考察

一つ、ツイッターで見かけた面白い考察は、「名前のないカード」が小狼の身代わりになったんじゃないか、という説。
「名前のないカード」はさくらの想いが作り出したカードで、さくらの一番大事な想いと魔力が詰まってる。
なので、「無」のカードは、小狼の「一番大事な想い」の代わりに、その場で一番魔力の残っていた「名前のないカード」の、そこに込められていた「一番大事な想い」を失わさせて、さくらカードに変わったんじゃないか、と。

これは、効果が奇跡でキャンセルされたという説に比べると、だいぶ説得力がある。
けど、まだ気になるところがある。

まず気になるのは、じゃあなぜ「無」のカードはさくらカードになったとき、「希望」と名前が変わったのか。
「名前のないカード」と合わさったのだから名前も変わるだろう、と素直に捉えてもいいけど、そうだとしても、その名前が「希望」である理由は、ちょっと分からない。

それと、「無」のカードは明らかに小狼をターゲットにしていた。
「名前のないカード」はそこに割り込んだわけだけど、割り込むくらいで代わりになれるものなのか、という疑問が残る。
もし、割り込んで代わりになれるくらいに魔力が高かったのであれば、「無」のカードは最初から小狼ではなく「名前のないカード」をターゲットとして選んでいただろうし。

クロウカードの枚数

さて、ここからは自分の考え。

まず注目したいのが、クロウカードの枚数。

アニメ版で、クロウカードの枚数は、52枚となっている。
これは、ケロちゃんも劇中で「クロウカードは全部で52枚やろ」と言っている通り。
ところで、この枚数、何か覚えのある数字じゃないだろうか・・・
そう、これは、トランプの枚数と同じ。

おそらく、アニメ版でクロウカードの枚数が52枚になったのは、グッズとしてトランプが売れるよね、とか、1年が52週だからちょうどいいよね、とか、そういった軽い理由だったと思うんだけど、あえてこの枚数に注目してみたい。
後付けでこの枚数の設定が利用された可能性は考えられるし。

ちなみに、興味深いこととして、劇中劇でさくらの侍女役を演じた4人のドレスのモチーフは、それぞれトランプのマークになってる。
奈緒子ちゃんがスペード、千春ちゃんがハート、利佳ちゃんがダイヤ、そして、苺鈴がクラブ。
4人だったからトランプのマークをモチーフにしたのか、それとも・・・

何はともあれ、クロウカードをトランプと対応させると、面白いことが見えてくる。
それは、さくらの「名前のないカード」の立ち位置。
52枚のいずれでもない、53枚目のそのカードは、すなわち「ジョーカー」になっている。
「ジョーカー」というのは、「何者でもないが、それゆえ、何者にでもなれる」カード。
これがまずポイントになる。

さくらの無敵の呪文

それを踏まえた上で、「名前のないカード」の生まれたシーンを思い出して欲しい。

原作では、知世からの電話で、急がないと間に合わないことを告げられたとき、知世から「さくらちゃんには無敵の呪文がありますもの!」と背中を押され、さくらは「・・・絶対、だいじょうぶだよ」と、答えている。
一方、アニメ版では、知世のセリフはカットされ、代わりに、さくらのこぼした涙から魔法陣が展開し、「名前のないカード」が生まれている。
つまり、「名前のないカード」は、「絶対だいじょうぶだよ」というさくらの無敵の呪文の具現として表現されていると見ることも出来る。
もちろん、純粋に小狼への気持ちの具現としてみる解釈も可能だけど。

ここで重要なのが、「絶対だいじょうぶだよ」の呪文自体は、具体的に何かを生み出したりはしないということ。
もちろん、気持ちの変化を与えたり、次の行動を引き起こしたりして、その結果として、何かを生み出すことに繋がってはいくんだけど。
けど、そこで生み出されたものは、あくまで呪文によって引き起こされた行動の結果であって、呪文自体は何も生み出していないことに注意しないといけない。
そして、それがゆえに、呪文によって引き起こされる行動は多彩なものになり、結果として、生み出されるものも多彩になる。
つまり「絶対だいじょうぶだよ」の呪文は、「何も生み出さないが、それゆえ、何でも生み出すことが出来る」呪文となっている。
ある意味、創造の極点というか。
そして、これはまさに、先に述べた「ジョーカー」の立ち位置になっている。

「創造」の条件

さて、そんな「何者でもないが、それゆえ、何者にでもなれる」「何も生み出さないが、それゆえ、何でも生み出せる」「創造の極点」とも呼べる「名前のないカード」だけど、実は、その力を最大に発揮するには、一つ、条件が必要なことに気がつくだろうか。
それは、「余白」の存在。
「何者でもない」がゆえに何者にでもなれる、というのであれば、すでに何者かであったのならば、そこからなれる者の範囲というのは、自然と限られてきてしまう。
同様に、「何も生み出さない」がゆえに何でも生み出せる、というが、すでに何かが生み出されていたならば、そこに加えて生み出せるものは、自然と限られてきてしまう。

何か別の姿になるには、今の姿を捨てなければならない。
何かを生み出すには、今あるものを失くさなければならない。
「破壊」と「創造」ーー
そう、「創造」の前には、先立って「破壊」がなければならない。

「希望」を生み出すもの

ここまでくれば、自分が何を言いたいのかは、大体分かってきたんじゃないかと思う。

そう、「名前のないカード」が「創造の極点」とも呼べるカードなら、逆に、「無」のカードは、「破壊の極点」とも呼べるカード。
それは、今あるものを、何もかも無くしてしまうカード。
劇中でケロちゃんも言ってた通り、なんとも物騒なカードである。

けど、これが「創造の極点」たる「名前のないカード」と組み合わさることで、その「破壊」の意味は、大きく変容させられることになる。
その「破壊」は、「創造」を生み出すための「破壊」ーー

「無」のカード単体では、現状を破壊することしか出来ない。
破壊した後には、何も残らない。

一方、「名前のないカード」単体では、現状を変えることは出来ない。
何もかも生み出すことは出来るかもしれないけど、今すでにあるものは、変わらずそのまま残り続ける。

しかし、この2つが組み合わさればーー
そう、何もかもを変え、何もかもを創っていくことが出来るようになる。
今ある枠を壊し、飛び越え、何者にだってなることが出来る。
それこそが、「希望」。

何もかもを無くす「無」のカードと、何もかもを生み出す「名前のないカード」が組み合わさることで、それは「希望」のカードとなった。
「希望」のカードは、何もかもを無くし、それがゆえに、何もかもを創っていくことが出来るカードだと言える。

思い返してみれば、さくらカードへの変換も、破壊と創造によって成り立っていた。
さくらの呪文を思い出して欲しい。

「クロウの創りしカードよ、古き姿を捨て、生まれ変われ。
 新たな主、さくらの名の下に!」

このように、クロウカードはクロウカードでなくなることで、さくらカードとして生まれ変わることが出来ている。
「希望」のカードは、そんなさくらカードの象徴なのかもしれない。

小狼の「一番大事な想い」

こうして「希望」のカードがどういったカードなのかを掴むと、小狼がなぜ大丈夫だったのかが見えてくる。

そう、小狼は、「一番大事な想い」を失わなかったわけではない。
「希望」のカードによって、小狼は確かに一度、「一番大事な想い」を失っている。
そしてまた、さくらに新しく恋をした。

古き恋心はなくなり、そして、新たな恋心として生まれ変わった。
それゆえ、小狼は大丈夫だった、と。

劇中でも、小狼は言っている。

「この気持ちがなくなっても、俺、またさくらのこと・・・」

そう、何度だって、何度だって、さくらがさくらである限り、小狼はさくらに恋をする。
何度だって、さくらに新しく恋することが出来る。
だから、さくらと小狼がいれば、二人は「絶対、だいじょうぶ」なのだ。

実のところ、この考えに至ったのはけっこう最近で、『宇宙パトロールルル子』を観たのが大きい。
(余談だけど、『宇宙パトロールルル子』も非常に面白い作品だったので、オススメ)

ルル子
「宇宙とか虚無とか、中学生の私には全然意味分からない。
 でも、これだけは分かる。
 これは、私がノヴァくんを好きっていう気持ち。
 何度奪われても、この想いはもう、絶対に消えることはないの。
 ねぇ、ノヴァくん、覚えてる?
 あたしね、嬉しかったんだ。
 二人で頑張ろうって、あなたは言ってくれた。
 その、たった一言で私の中に生まれた、光を超えて無限に広がり続けるこの想いが、
 まだ13歳の普通の中学生だった私の世界を変えたの!」

(『宇宙パトロールルル子』より引用)

何度恋心を失っても、何度だって恋してやる、この恋心が消えることは、決してない、という、ルル子の強い想いが、とても印象的。

さくらカードと陰陽のバランス

ところで、「無」のカードがさくらカードになったあと、陰陽のバランスの問題はなくなったのだろうか。

「無」のカードが「無」のカードのままさくらカードになっていれば、この陰陽のバランスは、何も問題がなかった。
52枚のカードが陽を受け持ち、「無」のカードが陰を受け持てばいいだけだから。

けど、実際には「無」のカードは「無」のカードではなくなり、「希望」のカードになってしまった。
はてさて、それでバランスに問題は生じないのだろうか・・・?

これに関しては、そもそもさくらカードでは、陰陽について考える必要がないんだろうなぁ、というのが、自分の考え。
それは、あくまで持論だけど、クロウの「闇の力」とさくらの「星の力」では、性質に差があると思っているから。

電力と磁力

以下は自分の考えだけど、クロウの「闇の力」は、電力に近いんだと思っている。
一方、さくらの「星の力」は、磁力に近いんだと思っている。

電気というのは、プラスとマイナスがあるわけだけど、実体として存在するのは「電子」(=マイナス)だけで、その偏り具合が見かけ上のプラスとマイナスを生み出している。
そして、マイナスの少ない側(=プラス)に向かってマイナスの多い側(=マイナス)から電子が流れることで、電気は仕事をする。
このとき、電力が発生する代わりに、電子の偏り具合はどんどん減っていってしまう。
だから、化学反応を使ったり(電池)、運動エネルギーを使ったり(発電機)して、電子の偏り具合を保ち続ける必要がある。

一方、磁気というのは、「電子」が動いたときに、その周りに発生する。
電磁石とかだと、その電子の流れは電力によって生み出されるわけだけど、永久磁石とかだと、(厳密にはスピンとか出てきてよく分からないんだけど、イメージとしては)電子が原子核の周りを回っていることで生み出される。
なので、永久磁石は、外部から電力を供給することなく、ずっと磁力を保ち続けることが出来る。

「闇の力」というのはまさに電気のようなもので、そこに偏りを発生させることで、魔法という効力を生み出しているんだと思っている。
52枚分のカードにはプラスを、「無」のカードにはマイナスを与え、プラスの力を持ったカードは、そのプラスの力を放出することで、魔法を発現する。
ただ、そうするとカードに込められたプラスの力はどんどん減っていってしまうから、術者が定期的にプラスの力を補充していってやらないといけない。
あと、当然プラスの力をマイナスの力にぶつけても、相殺されて0になってしまうので、プラスの力はマイナスの力には一切通用しない。

一方、「星の力」というのはまさに永久磁石のようなもので、カードに込められた魔力がその中で動き続けることで、魔法という効力を生み出しているんだと思っている。
ここでは、何かを陰陽に分ける必要すら存在しないーーというか、厳密にいうと、陰陽に分けることがそもそも出来ない。
だって、そこに陰陽の偏りはないわけだから。
(これは、N極だけの磁石やS極だけの磁石を作れないようなもの)

ちなみに、なぜ自分がこのように考えているのかというと、クロウ、それにエリオルが、次のように言っているから:

クロウ
「その杖には、新しい力が宿っています。
 太陽でも月でもない、あなただけの『星』の力が。
 たとえ今は小さな光でも、
 自分で光りつづける星の力が・・・」

(『カードキャプターさくら』より引用)

エリオル
「しばらくは、わたしがカードに残した闇の力で
 カード達は活動できますが、
 ずっとそのままではやがて魔力を失い、
 クロウカード達はただのカードに戻ってしまう」

(『カードキャプターさくら』より引用)

つまり、闇の力は自然と失われていってしまうのに対し、星の力はずっと残り続けることが出来る、と。
これはまさに、電池と磁石の関係。
さらに、今回の映画で陰陽の話が出てくると、それはまさに電気のプラスとマイナスの話になっている。

原作のクロウカード

ちなみに、アニメ版、そして「封印されたカード」では、52枚のクロウカードと「無」のカード1枚で陰陽のバランスをとっていると言っていたわけだけど、原作の方はどうなのかな、という話。

これもあくまで自分の考えで、公式にそういう設定があるわけではないんだけど、実は、原作は原作で、うまいこと陰陽のバランスをとってるんじゃないかな、と。

そう思うきっかけになったのは、これまたクロウカードの枚数。

原作のクロウカードの枚数は19枚で、すごく中途半端な枚数になっている。
タロットカードを意識するなら、大アルカナの22枚とかになりそうなもの。
それに、19というのは素数
太陽と月、というように、陰陽を感じさせる要素があるわけだから、偶数にして、太陽所属の陽のカードと、月所属の陰のカードにキレイに分かれるようになっているのが普通だと思うんだけど。
実際、「光」と「闇」はそれぞれケルベロスとユエの第一配下のカードと言及されてるし、「火」と「地」はケルベロスの属性、「風」や「樹」はユエの属性と言及がされている。

と、ここで、ある特殊なカードの存在に気付くだろうか。
それは、「鏡」
さくらの対の存在とも言える、「鏡」のカード。
なら、逆に考えれば、さくらもカード達の中に入れてしまえば・・・
さらにいうと、守護者であるケルベロスとユエも加えれば、数は22になり、大アルカナに揃うことになる。

そして、以下のような感じで、陰陽のバランスがとられていたんじゃないかな、と:

 
さくら
守護者 ケルベロス ユエ
第一配下
四大元素 火、地 水、風
その他 剣、灯、雷、花、跳、迷 盾、影、消、樹、翔、幻

なお、その他についてはそれっぽいのに分けてるだけだけど、意外と対応が取れてたり。
(剣と盾、花と樹、など)
CLAMP(というか大川さん)がここまで考えてたかどうかは分からないけど、考えててもおかしくはなさそう。


以上で、考察は終わり。
めっちゃ長文になったけど、語りたいことは語りつくせたかな。

今日はここまで!

カードキャプターさくら(1) (KCデラックス)

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宇宙パトロールルル子 (初回生産限定盤) [Blu-ray]

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Karabiner-Elementsで英数/かなの切り替えをトグルにしてみた。

Macを使っててちょっと困るのが、英数/かなの切り替えがトグルでないこと。

まぁ、トグルでなくて明示的に指定した方が分かりやすい、という人もいるけど、仕事では(残念ながら)Windowsを使っているので、MacWindowsで操作が違うのは、けっこう面倒。
あと、自分の場合、(絵を描くわけでもないけど)マウスの代わりにペンタブを使っているので、ペンを持った状態のままキーを叩こうとすると、右手の親指を動かすことが出来ず、「かな」キーを押しづらいというのもある。

そんなわけで、以前はKarabinerを使ってトグル切り替え出来るようにしてたんだけど、困ったことに、MacSierraになったときに、Karabinerは使えなくなってしまった。
これに困った人はたくさんいて、代替ソフトがいろいろ出てたんだけど、どれも微妙な感じ。

なので、ずっと我慢して、かなに切り替える場合、右手を下に引いて右手の人差し指で「かな」キーを押すとかいう無茶をやってたんだけど、久々に調べたら、Karabinerの後継であるKarabiner-Elementsで英数/かなのトグル切り替えが出来るようになったとのこと。
そこで、Karabiner-Elementsを使って英数/かなのトグル切り替えを出来るようにしてみた。

ダウンロード&インストール

ダウンロードは、以下のサイトから:

Karabiner - Software for macOS

ダウンロードしたら、dmgファイルを開いて、その中に入っているpkgファイルをダブルクリックすれば、インストーラが起動する。
あとは、インストーラの指示に従ってインストールすればOK。

インストールが終われば、アプリケーションフォルダにKarabiner-Elements.appとKarabiner-EventViewer.appがインストールされる。

設定

ここで行う設定は、以下の2つ:

  • 「英数」キーを押したとき、英数/かなをトグルする
  • 'ろ'のキー(右Shiftの左側のキー)を押したときに、バックスラッシュ(\)を入力し、Shift+'ろ'を押したときに、アンダースコア(_)を入力する

後者の設定もWindowsのキーマップに似せるためのもので、何も設定してないとバックスラッシュではなくアンダースコアが入力されるので、 \TeXを使うときに地味に不便だったりする。

何はともあれ、まずはKarabiner-Elementsを起動。
アプリケーションフォルダを開き、Karabiner-Elements.appを開く。

f:id:yamaimo0625:20180114124349p:plain

起動すると、おそらく次のような設定ダイアログが表示されるはず。

f:id:yamaimo0625:20180114130417p:plain

表示されない場合、メニューバーにあるKarabiner-Elementsのアイコンをクリックし、そこから"Preferences..."を選択すればいい。

この設定ダイアログにはいくつかのページがあり、上の画像のページ("Simple Modifications")では、あるキーを別のキーに置き換えるということが出来る。
ただ、今回はそんなシンプルな話ではないので、ここは使わない(使えない)。

ちなみに、"Virtual Keyboard"ページでは、キーボードの種類が選べるので、適切なキーボードになっているか、確認しておいた方がいい。

f:id:yamaimo0625:20180114131150p:plain

今回行うような複雑な設定には、"Complex Modifications"ページを使う。
ただ、その前にJSONファイルを用意しておかないといけない。

まず、ターミナルなどを使って、以下のフォルダを開く:

$ open ~/.config/karabiner/assets/complex_modifications/

ここに、適当な名前のJSONファイル(例えば、my_option.json)を用意して、以下の内容を入力して保存:

{
  "title": "自分用の設定",
  "rules": [
    {
      "description": "英数キーで入力をトグルできるようにする",
      "manipulators": [
        {
          "type": "basic",
          "description": "入力ソースが英字の場合、ひらがなにする(入力ソースがひらがなの場合、上書きの必要なし)",
          "from": { "key_code": "japanese_eisuu" },
          "to": [ { "key_code": "japanese_kana" } ],
          "conditions": [
            {
              "type": "input_source_if",
              "input_sources": [ { "language": "en" } ]
            }
          ]
        }
      ]
    },
    {
      "description": "'ろ'にバックスラッシュ、Shift+'ろ'にアンダースコアを割り当てる",
      "manipulators": [
        {
          "type": "basic",
          "description": "'ろ'にバックスラッシュを割り当てる(Shift+'ろ'は、上書きの必要なし)",
          "from": { "key_code": "international1" },
          "to": [ { "key_code": "international3" } ]
        }
      ]
    }
  ]
}

この詳細については、後ほど。

ファイルが用意できたら、"Complex Modifications"ページを開き、"Add rule"をクリック。

f:id:yamaimo0625:20180114133335p:plain

以下のようなシートが表示されるはずなので、「自分用の設定」の"Enable All"をクリック。

f:id:yamaimo0625:20180114133508p:plain

すると、以下のようになるはず:

f:id:yamaimo0625:20180114133615p:plain

これで完成!

ちゃんと「英数」キーで英数/かなのトグルが出来るし、'ろ'でバックスラッシュ、Shift+'ろ'でアンダースコアが入力されるようになってるはず。

設定の詳細

ここからはオマケ。
上のJSONファイルでうまくいかなかったり、自分でKarabiner-Elementsの設定を行いたい人向け。

まず、Karabiner-Elementsの動作イメージを説明しておくと、Karabiner-Elementsが起動している場合、入力デバイス(キーボードやマウス)で起きたイベント(キーが押された、など)を、直接Macに渡すのではなく、Karabiner-Elementsを経由させてからMacに渡す、という感じになっている。
なので、JSONファイルでは、どのイベントをどのイベントに変換するか、というのを記述することになる。

詳細については、karabiner.json Reference Manual - Karabiner - Software for macOSを参照。

JSONファイルの構成

"Complex Modifications"のルールを記述するJSONファイルの全体構成は、以下のようになっている:

{
  "title": "(ルールセットのタイトル)",
  "rules": [
    {
      "description": "(ルール1の説明)",
      "manipulators": [
        {
          // 変換操作の内容1-1
        },
        ...
        {
          // 変換操作の内容1-n
        }
      ]
    },
    ...
    {
      "description": "(ルールmの説明)",
      "manipulators": [
        {
          // 変換操作の内容m-1
        },
        ...
        {
          // 変換操作の内容m-n
        }
      ]
    }
  ]
}

変換操作の記述

変換操作の記述は、以下のような感じ:

{
  "type": "basic",
  "description": "(変換操作の説明)",
  "from": {
    // 変換元のイベント
  },
  "to": [
    {
      // 変換後のイベント1
    },
    ...
    {
      // 変換後のイベントn
    }
  ],
  "conditions": [ // 変換操作を行う条件(オプション)
    {
      // 条件1
    },
    ...
    {
      // 条件m
    }
  ]
}

なお、toの他に、to_if_aloneto_if_held_downto_after_key_upto_delayed_actionなどもあるけど、省略。
基本的にはtoを使えばいいと思うので。

あと、conditionsはあってもなくてもいい。
指定した場合、条件が満たされたときだけ変換操作が行われるようになる。
今回の場合は、入力が英数のときだけ、「英数」キーを「かな」キーとして働かせることになるので、そのときに使っている。

fromに関して

変換元のイベントの記述は、以下のような感じ:

"from": {
  "key_code": "(入力されたキーのキーコード)",
  // 以下はオプション
  "modifiers": {
    "mandatory": [ // 必須なキー(組み合わせたときにだけ働く)
      "(必須なキーのキーコード)",
      ...
    ],
    "optional": [  // 一緒に押せるキー(組み合わせても働く)
      "(一緒に押せるキーのキーコード)",
      ...
    ]
  }
}

なお、key_codeの他に、consumer_key_codepointing_buttonanyというのもあり、そのいずれかを指定することになっている。
ただ、基本的にはkey_codeでOKのはず。

modifiersは、指定しなかった場合、他のキーと組み合わせたときには働かなくなる。
少しややこしいのだけど、以下のように考えればいいと思う:

やりたいこと modifiersの指定
他のキーと一緒に押されたときは、変換操作をやりたくない modifiersなし
特定のキーと一緒に押されたときだけ変換操作をやりたい modifiersmandatoryを指定する
特定のキーと一緒に押されたときにも変換操作をやりたい modifiersoptionalを指定する

例えば、今回だと、'ろ'のキー("international1")が押されたときにバックスラッシュのキー("international3")が押されたイベントを送るようにしてるんだけど、Shiftと一緒に押されたときにも変換処理が行われてしまうと、縦棒(|)が入力されてしまう。
なので、modifiersなしにすることで、Shiftと一緒に押されたときにはバックスラッシュのキーではなく'ろ'のキーがそのまま送られるようにしている。
(結果として、Shift+'ろ'でアンダースコアが入力される)

toに関して

変換後のイベントの記述は、以下のような感じ:

"to": [
  {
    "key_code": "(変換後のキーのキーコード)",
    // オプション
    "modifiers": [
      "(一緒に押されたとするキーのキーコード)",
      ...
    ],
    "lazy": false,
    "repeat": true
  },
  ...
]

なお、key_codeの他に、consumer_key_codepointing_buttonshell_commandselect_input_sourceset_variableというのもあり、そのいずれかを指定する。
基本的にはkey_codeのはず。

ちなみに、select_input_sourceを使うことで、入力ソースを切り替えるイベントを送ることも出来る。
最初はこれを試して、Safariとかでは問題なく動いたんだけど、ターミナルで入力ソースが切り替わらないという自分としてはかなり致命的な問題が生じたので、素直にキーコードを送るイベントを使うようにしている。

あと、lazyは他のキーが押されるまでイベント変換を遅延させるかどうかという設定、repeatは繰り返し変換を行うかどうかという設定。
まぁ、明示的に指定する必要があるケースはあまりなさそう。

conditionsに関して

変換操作を行うかどうかの条件にはいくつかタイプがある:

タイプ 説明
frontmost_application_if, frontmost_application_unless アプリのバンドル名、ファイルパスの条件
device_if, device_unless バイスの条件
keyboard_type_if, keyboard_type_unless キーボードの種類(ansiやjisなど)の条件
input_source_if, input_source_unless 入力ソースの条件
variable_if, variable_unless 変数の条件

それぞれのタイプで、指定する内容は異なってくる。

今回は、入力ソースが英字のときにだけ変換操作を行いたかったので、input_source_ifを使ってる。

input_source_ifは、以下のような感じ:

{
  "type": "input_source_if",
  "input_sources": [
    {
      "language": "(言語の正規表現)",
      "input_source_id": "(input source idの正規表現)",
      "input_mode_id": "(input modeの正規表現""
    },
    ...
  ]
}

なお、languageinput_source_idinput_mode_idはそれぞれオプショナルなので、特に問題がなければlanguageを指定しておくだけで十分。
ちなみに、これらの値はKarabiner-EventViewer.appを起動して、"Variables"ページを見ると、確認できる。

キーコードの確認について

あと、キーコードの確認も、Karabiner-EventViewer.appを起動すると、出来る。
"Main"ページを開いて適当なキーを押すと、そのキーのキーコードがテーブルの"name"列に表示されるので、それを使えばいい。

なお、"japanese_kana"や"japanese_eisuu"はエイリアスで、本来の名前はそれぞれ"lang1"、"lang2"となっている。
どんなエイリアスが使えるのかは、コードを確認する必要がある。

以下のリポジトリで、src/share/types.hppを参照するといい:

今日はここまで!

pLucidをいじってみた。(その2)

前回はLucidの処理系であるpLucidについて紹介した。

今回はLucidについて触れていきたい。

Lucidとは?

Lucidというのは、前回も触れたとおり、データフロープログラミング言語の1つ。

データフロープログラミング - Wikipedia

Lucid (プログラミング言語) - Wikipedia

自分がこの言語に触れて一番変わってるなぁと思ったのは、変数が数列のように履歴を持つというところ。
なので、プログラミングが、漸化式を書くような感じになってたりする。
まぁ、これは実際の例を見てみないと分かりづらいと思うので、後で。

Hello, world!

とりあえず、新しいプログラミング言語に触れるなら、まずこれでしょ、ということで、Hello, world!から。

LucidでHello, world!を書くと、次のようになる:

`Hello, world!'

ちょっと注意が必要な点としては、最初のはクォートはバッククォートで、最後のはシングルクォートだということ。

これをpLucidで実行するには、まず適当なファイルに保存して(ここではhelloというファイルとする)、以下のようにコンパイル

$ lucomp hello

ただし、これはlucompから呼び出されるpass1、pass2、pass3、pass4、pass5が、PATHの通った適当な場所に置かれているのが前提。
もしこれらがPATHの通った場所に置かれていない場合、以下のようにして、パイプで処理をする:
(ここではpass1〜pass5がカレントにあると仮定)

$ ./pass1 hello | ./pass2 | ./pass3 | ./pass4 | ./pass5 hello

すると、hello.iという中間のバイナリファイルが生成される。

中間のバイナリファイルが生成されたら、次のように実行:

$ luval hello.i

さて、実行したらどうなるのかというと、こうなる:

$ luval hello.i
Evaluation begins .........

output(  0) : `Hello, world!' 
output(  1) : `Hello, world!' 
output(  2) : `Hello, world!' 
output(  3) : `Hello, world!' 
output(  4) : `Hello, world!' 
...(省略)...
output(995) : `Hello, world!' 
output(996) : `Hello, world!' 
output(997) : `Hello, world!' 
output(998) : `Hello, world!' 
output(999) : `Hello, world!'

$

なんじゃこりゃ!?、ってなるよねw

ただ、これがつまり、変数が数列のように履歴を持つということを意味している。

Lucidでは、一番外側にある式が評価され、その値が出力となる。
このHello, world!では、`Hello, world!'という文字列が式になっていて、その値が評価される。

だったら、`Hello, world!'が一回表示されて終わりなのでは?となりそうだけど、そうはならない。
というのも、これは、Lucid的には次のような意味になるから:

 {
output(n) = `Hello, world!' \quad (n = 0, 1, 2, \cdots )
}

そう、outputという変数は、単一の変数ではなくて、数列のように、0番目の値、1番目の値、2番目の値、・・・と、複数の値を含んでいるようになってる。
なので、pLucidはその値を順番に出力していった、と。
(実装的に上限が1000で固定になってるので、999番目の値で出力は止まってる)

うん、変な言語w

Hello, world!(真)

じゃあ、一回だけHello, world!を出力して終わりにしたかったら、どうするか。

数学的に考えれば、次のように場合分けすればいいことになる:

 {
output(n) = \left\{ \begin{array}{ll}
`Hello, world!' & (n = 0) \\
eod & (n \ge 1)
\end{array}
\right.
}

なお、eodは、データの終わりということ。

これをLucidで書くと、次のようになる:

`Hello, world!' fby eod

さっきと同じようにコンパイルして実行すると、以下のような出力になる:

$ ./luval hello.i 
Evaluation begins .........

output(  0) : `Hello, world!' 

Statistical Information about the evaluation
# of memory buckets created    =          0
# of space/time/place tags created   =          3

このとおり、1回だけ出力され、終了する。
(それ以外の出力もなんかいろいろ出てるけど・・・)

ここでポイントとなっているのは、fbyという演算子
これは"followed by"の略で、1回目は左項が評価され、2回目以降は右項が評価されるようになっている。
なので、output(0)は左項が評価されて`Hello, world!'になり、output(1)以降は右項が評価されてeodとなるので、データの終了ということでそこで出力が停止する、と。

ちなみに、fbyは右結合なので、次のように書くと、2つ出力して終わる感じになる:

`Hello, world!' fby `Good bye!' fby eod

実行例は、以下:

$ ./luval hello.i 
Evaluation begins .........

output(  0) : `Hello, world!' 
output(  1) : `Good bye!' 

Statistical Information about the evaluation
# of memory buckets created    =          0
# of space/time/place tags created   =          4

理屈としては分からなくもないけど、なんとも分かりにくい(^^;
アイディアは面白いと思うんだけど、もうちょっと分かりやすい記法はなかったものか・・・


なお、今自分がいじっているGitHubリポジトリは、luvalを実行するとセグメンテーションフォールトが発生するので、ここでの実行例は、おそらくGCCでオリジナルのコードをそのままビルドして作られたバイナリを使ってる。
自分のいじってる方も、そのうちちゃんと動くようにしたい。

今日はここまで!